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「加入当時は悲惨だった」とHRTチーム代表

2012年08月07日(火)13:53 pm

HRTチーム代表のルイス・ペレス・サラが、チーム代表に就任したときのHRTの状況は満足のいくものではなかったと認めている。

元ミナルディのドライバーであったペレス・サラは昨年、HRTの新たなオーナー企業となったテサン・キャピタルからチーム代表に任命された。そして、それまでHRTを仕切っていた前代表のコリン・コレスからチーム代表の座を引き継ぎ、初めて迎えたレースは2011年のイギリスGPだった。

ペレス・サラはそのときの様子を『El Pais(パイス)』紙へ次のように語っている。

「そこで見たものは私の意に沿うものではなかった」

「まったくもって悲惨だったよ。そこには組織もなければ信頼性もなかった。空力の研究もされていなかった。チームの国籍がどこなのかという意識すらなかった」

「すべては外部から調達されていた。同じ出身地から来ている技術者は誰もいなかった。彼らは(HRTは)スペインのチームだと言ってはいたものの、スペイン的なものなど何もなかったよ」

しかしその後、依然として最後尾争いを続けてはいるものの、HRTでは多くのことが変わってきている。マドリードの豪華な本部への移転を監督したペレス・サラは、カンポス・レーシング、さらにヒスパニア・レーシングという名称でF1参入後の2シーズンを過ごしてきたチームの「検視」を行った後にチームの再構築が行われたとし、さらにこう続けた。

「ペドロ(デ・ラ・ロサ/レースドライバー)と組まなくてはならないことは明らかだった。彼がカギだったんだ」

「デ・ラ・ロサはスペイン人だし、経験豊かで、正直な人間だ。彼はすでに10年以上もF1で過ごしており、みんなのことを知っているし、エンジニアやメカニックたちと共にクルマを開発していく術(すべ)を知っている」

「彼はドライバーとしても大きな貢献をしてくれているが、彼がチームにいてくれることがわれわれの成長に役立っているよ。当てずっぽうではなく、ちゃんとした計画を持つことができるからね」

デ・ラ・ロサは、当時マクラーレンの控えドライバーを務めていたが、そのときの報酬の半額しか提示されなかったにもかかわらず、ペレス・サラの求めに応じてHRTに加わっていた。そのデ・ラ・ロサもまた当時のHRTへの第一印象はかなり悪いものだったと認め、次のように話している。

「すでに2年もF1にいたにもかかわらず、真剣にやっているようには見えなかったよ。間違った体制が敷かれていて、それを変えるのが難しかった」

「以前、契約したいと思っていたけれど、信頼がおけなかったんだ。ルイスが加わったのを見て(契約することを)考えたよ」

「そしてそれから何度かいい議論が交わされた。スペイン国籍のチームで、スペイン人の代表、メカニック、エンジニア、そしてスペイン人ドライバーによってまたレースをやろうってね」

「ほかのチームみたいにイギリスに本拠を置くのではなく、ここ(スペイン)に本拠を構えるという考えはいいと思う。何か違うものや、違う体制を創(つく)り上げるためにスペインにいるんだ」

HRTの最高経営責任者であるサウル・ルイス・デ・マルコスは、HRTの2012年予算は5,000万ユーロ(約48億4,000万円)であることを明かしているが、それは大規模なF1チームの予算の7分の1に過ぎず、直接的なライバルとみなされているケーターハムの約半分という金額だ。

「うまくいけば、スポンサーを獲得し、3年で資金をつくることができる。最後の1ユーロまでクルマの空力開発につぎ込むことがそのための秘訣(ひけつ)だ。タイムを稼ぐのに最も大きい役割を果たしているのが空力だからね」

そう語ったデ・マルコスは、まだF1界がそれほど手をつけておらず、潤沢な資金力を持つインドや中国市場と「緊密な関係」を持つことがそのための戦略のひとつだとして、次のように続けている。

「われわれにはすでにインド国籍のドライバー、ナレイン・カーティケヤンがいる。そして、F1史上初の中国人ドライバーを誕生させる準備も進めている。マ・チンホワ(育成ドライバー)をね」

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