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エンツォの規範は今もいきづいているとフェラーリ会長

2013年08月15日(木)14:17 pm

フェラーリの創立者であるエンツォ・フェラーリが亡くなったのは1988年8月14日の日曜日のことだったが、すでにそれから四半世紀が経過した。

それはもう一世代も前のことになる。現在のフェラーリには、エンツォが亡くなったときにはまだ生まれてさえいなかった社員もいる。しかし、彼を知っている者にも、辛うじて彼の肉声を聞いたことがある者にも、あるいは、幸運にも彼の名前が刻まれた車を所有したり、運転したことがある者にとっても、さらには、黄色地に跳ね馬が刻まれたエンブレムを冠したクルマが勝利したときに喜び、敗れたときに嘆き悲しんだ者たちにとっても、エンツォの思い出は今も強くいきづいている。

エンツォの没後25周年を迎えるにあたり、現フェラーリ会長のルカ・ディ・モンテゼモーロの次のような談話がフェラーリ公式サイトに掲載された。

「エンツォ・フェラーリが私にとってどういう存在であったかを簡単に述べることは不可能だ。私は多くのことを彼に学んだ。どんなに厳しいときであろうと、勇気を持ち、常に先を見ることができる人だった。個人としても職業人としてもね」

「常々、私は彼と知り合うことができ、彼のような人物やアッボカート・アニェッリ(※)らとともに働くことができて、なんと幸運だったのだろうと思い返している。2人はいずれも並外れた人物で、われわれの国を世界でも輝かしいものにしてくれた。マラネロの私のデスクの横には創設者の写真が飾ってあるんだが、何か重要な決断をしなくてはならないときには、無意識にその写真を見つめながら、もし彼ならどうするだろうと自問している自分がいるよ」

「彼が示してくれた規範は常に心に残っている。決意と情熱、そしてその性格によって、彼は並外れたクルマを造るという夢をかなえた。そしてそれは男女を問わず、彼の名前を冠した会社で働く者たちにDNAとして引き継がれているんだ」

(※)フェラーリを傘下に置くフィアット社の元会長ジャンニ・アニェッリ(2003年没)のこと。アッボカートは「弁護士」を意味するジャンニの愛称。

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