今シーズン限りで引退するセバスチャン・ベッテル(アストンマーティン)が、先週逝去したレッドブル共同創業者ディートリッヒ・マテシッツ氏に敬意を表し、F1で4冠を獲得したレッドブル時代の象徴的なヘルメットデザインでF1メキシコGPに出場することをアストンマーティンF1がSNSで明かした。
●【2022F1第20戦メキシコGP】タイムスケジュール・結果
■レッドブルとともに成功を掴んだベッテル
ベッテルは、カート時代からレッドブルのサポートを受け続け、ジュニアフォーミュラからF1チャンピオンまでレース人生の大半をレッドブルとともに歩んできた。
レッドブルとともに4年連続チャンピオンに輝いてから、フェラーリ、そしてアストンマーティンと別の道を歩んできたが、2017年と18年の年間2位がベストリザルトだった。ベッテルはレッドブルと違う道を選んだ後もマテシッツ氏への恩を忘れることなかった。またアストンマーティンもチームとしてF1に参戦するまでレッドブルのスポンサーを務めていたという関係もある。
■レース人生を支えたレッドブル
ベッテルは1995年にカートを始めてから4年目となる98年からレッドブルのサポートを受けてきた。
2003年には、カートからフォーミュラ・BMWにステップアップして年間2位、翌2004年にチャンピオンを獲得。
2005年はF3ユーロシリーズで年間5位、マカオGPで3位、この年からBMW・ウィリアムズF1チームのテストドライバーに抜擢。2006年もF3ユーロシリーズに参戦して年間2位。
2007年はフォーミュラ・ルノー3.5に参戦して年間5位という記録で、フォーミュラ・BMW以外ではチャンピオンになっていない。
■レッドブルとともにF1で記録づくめ、世界中に衝撃
しかし、2007年シリーズ途中の6月、F1第6戦カナダGPで大クラッシュをしたロバート・クビサの代役で、翌戦アメリカGPでF1デビューを飾ると、19歳349日で8位に入賞し、当時のF1史上最年少入賞記録を樹立した。この時の活躍が評価され、シーズン中にトロロッソ(現アルファタウリ)のシートを掴んだ。
2008年第14戦イタリアGPの衝撃はすごかった。この若者は近い将来F1世界チャンピオンになると自らの力で世界中に印象づけたのだ。大雨の予選で、自身とチームにとって初ポールポジションを獲得。決勝レースでもポール・トゥ・ウィンで自身とチームにとって初優勝を果たした。
F1史上最年少ポールポジション(21歳72日)、当時の最年少優勝・最年少表彰台および最年少ポール・トゥ・ウィン(21歳73日)を記録。「F1初表彰台が初優勝」は1979年以来で、ベッテルはチームの母国GPで歴史的な勝利を飾ってみせた。
チームとしては、このベッテルとの初勝利と、2020年イタリアGPでピエール・ガスリー(アルファタウリ)が自身初勝利を挙げた時の通算2勝のみ。ポールポジションはベッテルとの1回のみで、この中堅チームでフル参戦1年目の若いドライバーがポール・トゥ・ウィンを飾ることがいかに凄いことかを表している。
F1フル参戦2年目の2009年には前年の活躍が認められ、レッドブルへ移籍すると年間2位。そして2010年にはルイス・ハミルトンが保持していた史上最年少ドライバーズチャンピオン記録を「23歳134日」に更新。その後も圧倒的な強さを見せて数々の記録を更新しながら、2013年まで4年連続でF1チャンピオンの座についた。ベッテルとレッドブルの黄金期だ。
2015年にフェラーリへ移籍するまで、ベッテルはF1における輝かしい記録をレッドブルとともに残してきている。
そんなベッテルはマテシッツ氏のお気に入りでもあり、よくパドックで談笑している姿が見られていた。
先週マテシッツ氏が逝去したことで、F1アメリカGP前のセレモニーにはレッドブル・ファミリーとして出席。自身とF1へ大きな影響を与え、あまりにも偉大な人物に感謝を述べていた。
■今週のヘルメットカラーは、レッドブルカラーで「ありがとうディディ」
あれから数日しか経っていないが、ベッテルはヘルメットをレッドブルカラーに“戻し”、懐かしいデザインを発表。通常「Red Bull」と書かれている文字と同じフォントとカラーを使い「Danke Didi(ありがとう、ディディ)」という文字を入れ、感謝の意を表している。
それを許可したアストンマーティンもまた、次のようにツイートしている。
「ディートリッヒ・マテシッツは、レッドブルレーシングのみならず、我々のスポーツの先駆者であり、伝説的存在です」
「ベッテルは、今週末のメキシコGPで、オリジナルの象徴的なデザインのヘルメットを着用する予定です」
「アストンマーティンの全員より、Danke Didi(ありがとうディディ)」。