ホンダの“もう一人の創業者”藤澤武夫氏、本田宗一郎氏と同じ米国自動車殿堂入り決定

2023年02月14日(火)20:12 pm

ホンダの創業者の一人であり最高顧問を務めた藤澤武夫氏が、米国自動車殿堂(Automotive Hall of Fame、所在地:米国ミシガン州ディアボーン市)に選出され、殿堂入りすることが現地時間2月10日に発表された。米国自動車殿堂による授賞式典は、7月20日に米国ミシガン州デトロイト市で挙行される予定だ。

同じくホンダの創業者である本田宗一郎氏も、1989年に日本人として初めて米国自動車殿堂入りを果たしている。

米国自動車殿堂は、自動車産業に貢献した人々の功績を称え、永続することを目的に1939年に設立されている。

■藤澤武夫の功績

藤澤武夫は、創業者・本田宗一郎とともに黎明期のホンダを率い、1959年のホンダ初の海外現地法人アメリカン・ホンダモーターの設立や、米国での二輪車販売開始時における自前のディーラー網の構築など、その後のホンダのグローバル事業拡大の礎を築いた。

また、1960年に研究開発部門を「本田技術研究所」として分離し独立させることで、個性と能力の自由な発揚を通じた新価値の創造を促すなど、現在に至るホンダの発展に大きく寄与した。

■藤澤武夫と本田宗一郎

ホンダが創業した翌年の1949年、本田宗一郎氏と出会った藤澤武夫氏は、ビジネスに対する考えや将来の夢で意気投合し、ホンダに入社。

本田宗一郎が研究開発や生産といった技術領域に集中する一方、藤澤武夫は営業や財務、マーケティングといった事業領域を一手に担い、本田宗一郎と二人三脚でホンダを率いた。

その後、2人のパートナーシップは、1973年3月に2人が揃って引退するまで約25年間続いた。

■藤澤武夫の略歴

・1910年11月10日東京都生まれ
・1949年10月:本田技研工業株式会社 常務取締役として入社
・1952年4月:同社専務取締役
・1964年4月:同社取締役副社長
・1973年10月:同社取締役副社長を退任、取締役最高顧問 就任
・1983年10月:同社取締役を退任、最高顧問
・1988年12月30日:死去(享年78歳)

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●Honda、語り継ぎたいこと「本田宗一郎と藤澤武夫、意気投合する / 1949」(外部リンク:Honda公式サイト)

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