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アイルトン・セナとの交渉やシューマッハの思い出をジャン・トッドが語る

2016年03月06日(日)19:39 pm

FIA(国際自動車連盟)会長のジャン・トッドが、かつての盟友ミハエル・シューマッハや、セナとの移籍交渉について語った。

史上最多7度のF1王者であるシューマッハは、2013年末のスキー事故以来、自宅で療養を続けている。かつてフェラーリで共に5連覇を成し遂げたトッドは、シューマッハに起きた出来事はいまだに「簡単には飲み込めない」と『Sport Bild(シュポルト・ビルト)』のインタビューで話している。

「彼がフェラーリを去ったあとで2輪のレースを始めたときには非常に心配したのを覚えている。だから、メルセデスからF1に復帰したときはうれしかった」

トッドは、自身がチーム代表を務めたフェラーリの黄金時代について、シューマッハがキーパーソンだったと振り返っている。

「物事がうまくいかないと、ここ数年にも見た通り、イタリア人は互いを批判しがちだ。シャシー担当はエンジンが悪いと言い、エンジン担当はシャシーのせいだと言う。あるいはドライバーが優秀でないとか」

「ミハエルのおかげで、少なくともそうした問題の1つは解決できたよ」

■セナとの移籍交渉

伝説的ドライバーのアイルトン・セナは、1994年にフェラーリに移籍する意志があったと言われている。トッドは当時について『Auto Bild(アウト・ビルト)』にこう話した。

「彼はフェラーリに来たがっていたし、フェラーリも彼がほしかった」

「(1993年に)彼と長い話し合いをした。私が魅了されたのは、その声だ。とてもゆっくりと、非常に明確な話し方だった」

しかし、当時フェラーリはすでにジャン・アレジ、ゲルハルト・ベルガーと契約を結んでいた。トッドがそれを告げると、セナは「F1では契約など何の価値もないじゃないか」と言ったという。

トッドはセナの要求を拒んだ。しかし、「私はもう一度彼に電話をして、1995年についてオファーをしたが、すでにウィリアムズに決めたからと断られた」とトッドは話す。

その後、1996年にフェラーリに加わったのがシューマッハだった。

「あの頃、フェラーリを再びチャンピオンにできるドライバーは彼しかいないと私は考えていた。才能と献身と忠誠心を合わせ持っていたからだ。また、エンジニアにとっても有益な存在だった」

■フェラーリ再興はベッテルの手に

昨年、シューマッハと同じドイツ人のセバスチャン・ベッテルがフェラーリに移籍し、その状況をシューマッハがフェラーリに加入した当時になぞらえる者も多い。トッドはこう話す。

「私がフェラーリに加わったとき、10段階で評価すれば、チームは3だった。しかし、セバスチャンが加わったときには7だったし、彼はそこからすぐに進歩した」

現在のシューマッハとの関係について聞かれると、トッドは顔を曇らせてこう答えた。

「もちろん彼との関係は変わったが、関係は続いている。今も友人だ」

「コリーナ(シューマッハの妻)や家族との関係はより密接になった。彼らを支える責任を感じている」

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