マクラーレンを35年間率いてきたロン・デニス。どのような人物だったのか、改めて振り返ってみる。
■ロン・デニスのF1への道
当時18歳のロン・デニス少年は、クーパーF1チームでメカニックとしてF1と関わりはじめ、2年後の1968年にブラバムに移った。
F2やF3で働いた呪縛のような時代の後、『Project Four』を起ち上げてF1に復帰。1980年9月にマクラーレンに加入した。
1981年、マクラーレンはロン・デニスの「逆乗っ取り」で『マクラーレン・インターナショナル』へと変更、18ヶ月後、32歳で同社の会社の支配権を握った。
1984年にマンスール・オジェをマクラーレンの株主に迎え、その後もビジネスパートナーとして活躍した。
■マクラーレンのデニス時代
マクラーレンの20回のワールドチャンピオンのうち17回、全182勝のうち158勝がロン・デニス時代にもたらされた。
ロン・デニスがやってくる前のマクラーレンは、コンストラクターチャンピオンは1974年から、そしてドライバーチャンピオンは1977年ジェームス・ハント以来勝てていなかった。
しかし、1982年と83年、ドライバーにニキ・ラウダとジョン・ワトソンを起用し、再びレースで勝てるようになった。
1984年はドライバーとコンストラクターチャンピオンの両方を獲得。16レースで12勝を挙げ、ニキ・ラウダが3度目のチャンピオンに輝いた。年間2位はわずか0.5ポイント差のアラン・プロストだった。85年も両タイトルを防衛している。
そして1988年、アラン・プロストとアイルトン・セナを起用したマクラーレン・ホンダ時代が始まり、16戦15勝を挙げて両タイトルを獲得、選手権を支配した。この後、1991年まで4年連続で両選手権を制覇している。
1998年、ミカ・ハッキネンがドライバーチャンピオンに輝き同時にコンストラクターも獲得。実に7年ぶりのタイトル獲得となった。
1999年はミカ・ハッキネンがドライバーチャンピオンを防衛するが、コンストラクターチャンピオンはフェラーリが獲得した。
2007年、フェルナンド・アロンソとルイス・ハミルトンを起用したが、フェラーリから情報漏洩した『スパイゲート』事件により、マクラーレンはコンストラクターの全ポイントを剥奪され、さらに4920万ポンド(66億円)の罰金を科された。
2008年のルイス・ハミルトンの初タイトルが、マクラーレン最後のタイトルとなっている。ルイス・ハミルトンはマクラーレンのヤングドライバーサポートプログラムとして10代の時から育成してきた。
ルイス・ハミルトンは2012年までマクラーレンに残ったが、ジェンソン・バトンとともにレースで優勝するも、チャンピオンからは遠のいている。
マクラーレンからは、ルイス・ハミルトンが移籍し、トップデザイナーのパディ・ロウもメルセデスへ移籍、そしてエンジンサプライヤーのメルセデスも離れていった。