元F1ドライバーのクリスチアーノ・ダ・マッタが、現在ケーターハムでチーフテクニカルオフィサーの職にある有名なF1エンジニア、マイク・ガスコインを糾弾(きゅうだん)している。
かつてティレルやジョーダン、ベネトンなどで活躍したガスコインは、2003年に鳴り物入りでトヨタF1チームに迎え入れられた。その当時、トヨタのドライバーを務めていたのがブラジル人ドライバーのダ・マッタだった。
ダ・マッタは2002年にアメリカのCARTシリーズのチャンピオンとなり、その実績を担いで2003年にトヨタからF1デビューを果たす。だが、翌2004年のドイツGPを最後にダ・マッタはトヨタから解雇され、その翌年2005年には再びCART(当時はチャンプカーと呼ばれた)に復帰。しかし、2006年8月にテスト走行中コースに進入した鹿と激突し、一時生死をさまよう大けがを負う不運に見舞われていた。
さて、実際、どのようなことが原因でダ・マッタはF1でのキャリアを終えることになったのだろうか?
「それを話していいものかどうかわからないけれど…」
ブラジルの『Totalrace(トータルレース)』にこう語り始めたダ・マッタは次のように続けた。
「結局のところ、一番大きな問題はマイク・ガスコインだったんだ」
「彼はチームに加入して大金を稼いでいた。でも、彼が新しく試みたことで良くなることはなく、ただ事態を悪化させただけだったよ」
トヨタがダ・マッタ放出に至った背景には、単にパフォーマンスが不足していたということだけではなく、ダ・マッタが常にクルマの技術的方向性について批判を行っていたことが原因していたためだというのも事実だ。
ガスコイン自身も2006年シーズン開始早々の時期にトヨタを解任されているが、伝えられるところによればその原因はトヨタとの技術的方向性の違いによるものだったとされている。
「ここからはゴシップネタになってしまうけど」とダ・マッタは続けた。
「2005年に、インディ(チャンプカー)に戻ったんだけど、ロングビーチでトヨタのTシャツを着た男に会ったんだ」
「僕は、“こいつはここで何をしてるんだ?”と思ったよ。彼は僕に近づいてきてこう言ったんだ。“ダ・マッタさん。私はトヨタを代表して伺いました。あなたが以前おっしゃっていたことは正しかったです”とね」
「僕は彼に言ったよ。その知らせはずいぶん遅かったけれど、それでもうれしいよってね。でも、僕の仕事に対して彼が敬意を払ってくれたことが気に入ったよ」