NEXT...F1開催スケジュール

ブレンドン・ハートレーが激白「レッドブルはモナコですでに自分の放出を決めていた」

2019年01月31日(木)16:44 pm

昨年レッドブルのジュニアチームであるトロロッソに所属していたブレンドン・ハートレーが、昨年の5月に行われたF1第6戦モナコGPの頃にはレッドブルがすでに自分を放出する準備を開始していたと語った。

■WECでの活躍でF1デビューチャンスをつかんでいたハートレー

かつて2009年にレッドブルの育成ドライバーとなったニュージーランド出身ドライバーのハートレーだが、翌2010年シーズンの途中で解雇されたという経緯がある。

だが、その後WEC(世界耐久選手権)の最高峰カテゴリーであるLMP1でポルシェチームの一員としてチャンピオンとなる活躍を見せたことから人材難に苦しんでいたレッドブルが再びハートレーに着目。

ハートレーは2017年のF1第17戦アメリカGPでトロロッソからF1デビューを飾ると、そのまま2018年もフルタイムドライバーとして契約を結んでいた。

■レッドブルはすでにモナコで解雇の方針を決めていた

そのハートレーは2018年の第4戦アゼルバイジャンGPで10位入賞を果たしてF1キャリア初ポイントを獲得している。だが、ハートレーによれば、そのわずか2レース後のモナコにおいてレッドブルはすでにハートレーを放出する計画に着手していたのだという。

29歳のハートレーは、『The Players Tribune(プレイヤーズ・トリビューン)』に対し、正式にレッドブルから解雇を通達されたのは2018年の最終戦アブダビGP決勝後にことだったと次のように語った。

「(レースが終わって)1時間してから、僕は会議に呼ばれたんだ」

「そしてその数分後、僕はもうF1ドライバーではなくなっていたよ。その会議ではあまり詳しい説明はなかった」

「そのとき、僕にははっきりと分かっていたんだ。すでにモナコで僕を放出する計画が動き出していたことをね」

実際の所、2018年のモナコGPを迎えるころからハートレーが放出されることになりそうだといううわさがパドックでささやかれ始めていた。

「あの日最悪だったのは、そうしたうわさの中に真実が含まれているのが分かったことだったよ」

「あの夜アパートに歩いて帰り、モンテカルロ・サーキットのウォールを見つめながらこう思っていたよ。もし僕が失敗すれば、もし今週末このウォールにクラッシュしてしまえば、僕のF1キャリアは数日後には終わってしまうだろうとね」

「すべてのフリー走行が僕にとってはさらに重みを持つものになるのは分かっていた」

「すべてのラップタイム、すべての結果が調査対象となり、それが僕からシートを取り上げるための材料として使われることが分かっていたからね」

■F1復帰のチャンスをうかがうハートレー

最終的にトロロッソのシートを失ったハートレーだが、いつの日か再びF1に復帰するという望みは捨てていないようだ。

「F1を恋しく思うだろうね」

「何か違うことを言えば、それは僕が嘘をついていることになる」

そう語ったハートレーは次のように付け加えた。

「F1のドアが閉ざされたわけではないし、最高峰レースシリーズにおいて1年の経験を積んだことにより、次にチャンスがきたときにはよりよい準備ができ、より強くなった状態で戻ってくることができるということだからね」

前後の記事
最新ニュースをもっと見る  >
TopNewsの最新ニュースが読めるよ!
facebookフォロー Twitterフォロー RSSでチェック