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【特集】未来のホンダ、2026年以降のF1活動は?社会人必見!ホンダF1をどん底から世界一へ導いた元HRC浅木氏の思考法・仕事術

2023年05月24日(水)0:00 am

ホンダをF1で再び世界一に導いた立役者である浅木泰昭氏が、HRC常務取締役 四輪レース開発部 部長を3月末で退任、4月末でホンダを定年退職した。

メディアにもよく登場していたのは、サーキットの現場を率いていた田辺豊治氏(当時テクニカルディレクター、現HRC)、そして山本雅史氏(当時マネージングディレクター、現在は退職)の両名だったが、もう一人、表舞台にはあまり出てこなかった重要人物が、栃木県にあるホンダF1開発・運用拠点HRD Sakura(現HRC Sakura)で、世界一の最強最速パワーユニットの開発を指揮した浅木氏だ。

NHK BS1で放送された『ホンダF1の栄冠!技術者たちの戦い』や『30年ぶりの栄冠!ホンダF1 最後の戦い』を観た人はご存じかと思うが、浅木氏はマクラーレンに見限られF1撤退寸前のところをトロロッソ(現アルファタウリF1)との提携でなんとか踏みとどまったというどん底の状態でパワーユニット開発責任者に就任した。

その浅木氏に課せられた使命は「ホンダのパワーユニットを世界一にすること」だった。

    ▼目次

  1. F1日本GP表彰台の光景は「よく覚えてない(笑)」
  2. 目標を達成するための“マネジメント技術”を持ったエンジニア
  3. 浅木氏のホンダ人生はF1での「成功体験」が生きていた
  4. 危機でも目標を見失わず「選択と集中」で目標達成
  5. 優勝達成、王座へあと1歩という中で「F1参戦終了」・・・それでも諦めず王座獲得
  6. HRCに集約してレースに集中
  7. 世界一になるための「人材マネジメント術」
  8. 優秀な80点の人と一点突破の100点の人を組み合わせた強い組織作り
  9. 多種多様なコミュニケーション術
  10. 浅木氏が考えるホンダとF1活動の未来は?
  11. 2026年以降、ホンダのF1活動はどうなるのか?

■1. F1日本GP表彰台の光景は「よく覚えてない(笑)」

浅木氏が出版にも携わった『ホンダF1 復活した最速のDNA(幻冬舎)』(Amazonで試し読み、Kindle版あり)発売直後の2022年F1日本GP、土曜日の予選前に独占取材で話を聞かせてもらったが、その翌日、浅木氏は表彰台に登壇し、2年連続F1チャンピオンになったばかりのマックス・フェルスタッペン(レッドブル)とセルジオ・ペレス(レッドブル)とともにシャンパンファイトをしていた。

2022年11月の「Honda Racing THANKS DAY 2022」で再会した際、F1日本GPの表彰台から見た光景を尋ねると「頭が真っ白でよく覚えてないんだよね」と照れながら笑顔で語ってくれたが、重圧に打ち勝ち、大きな仕事を成し遂げた浅木氏は、とても嬉しそうな表情を浮かべていた。

■2. 目標を達成するための“マネジメント技術”を持ったエンジニア

浅木氏はなぜホンダF1を世界一に導けたのか?

ホンダには優秀な人が集まっている、資金もある、最新設備もある、技術力もある。つまり、ホンダは世界一になるポテンシャルを元々備えていた。しかしF1ではまったく勝てなかった。

我々メディアには、「バージョンアップした」、「現場でこんな制御をしていた」、という一部の情報しか伝わってこない。「本当はこんなことをしていた」ということをメディアを通じてライバルに知られては困るので、絶対に漏らせない企業秘密が満載なのがF1のパワーユニットだ。

しかし、NHK取材班がその秘密に迫り、幻冬舎とともにさらに深掘りして書籍化した(Amazonで試し読み、Kindle版も)。そこから見えてきたのは「人を活かす」マネジメント術に勝利への秘訣があったということだった。

書籍を読んで興味を持ったのは、F1の舞台裏はもちろんだが、技術を突き詰めた一人の技術者としての浅木氏だけではなく、目標達成をするために全体をマネジメントする一人の社会人としての姿だった。

ホンダF1を世界一に導いたエンジニア、というと一般の社会人から見るとあまりにも違う世界の人、それを映像で観るとファンタジーで別世界の人のようにも映ってしまうが、F1の世界で働いている人も我々と同じように学校を卒業し、社会人になった人たちが毎日“仕事”をしている。

F1と一般社会で明らかに違うのは、あまりにも流れが速い時間軸、その短い時間の中でミスは許されない極めて高い技術の精度、毎週のように勝敗がはっきりと出ること、世界中から注目されるプレッシャーの大きさ、だろう。

浅木氏も、同じように学校を卒業し、社会人としてホンダに入社し、会社の中で様々な経験をして揉まれながら成長してきた同じ社会人でありサラリーマンだ。しかし、その中でも、F1で世界一、量産車で日本一になった経験をした人は数少ない。

浅木氏の経験が綴られたこの書籍は、ホンダや自動車業界に勤める人のみならず、他の業界に勤めている一般の社会人にとっても、大変役に立つビジネスと人生のバイブルになるだろう。

浅木氏の話を聞いていると、時々、創業者の本田宗一郎氏と話をしているかのような錯覚を覚えた。それほどホンダ愛、そして技術者としての誇りを感じた。もちろん、本物の本田宗一郎氏と会った事はないが、様々な映像や書籍を読んだ経験がそう感じさせたのかもしれない。

■3. 浅木氏のホンダ人生はF1での「成功体験」が生きていた

1981年、浅木氏は技術者としてホンダに入社すると、すぐに第2期F1に加入しエンジン開発を担当、後に世界一を獲ることにつながる開発現場を経験した。その経験を生かしてオデッセイなどの開発に携わった後、軽自動車ビジネスで苦境に立たされていた状況でN-BOXの開発責任者を務め、新車販売台数日本一を記録するヒット商品を生み出した。

2017年の半ば、まもなく定年という中、マクラーレン・ホンダとして最後の3年目、浅木氏はF1に呼ばれた。F1撤退も視野に入っていたほど窮地に立っていたホンダF1だったが、後輩に「成功体験」をさせたいという想いから承諾した。

自身が20代前半でF1に携わり世界一の成功体験をしたことで、その後の量産車でもその経験が生きてN-BOXの成功に繋がっている。

ホンダはF1に参戦する意義を「技術者を育てる場」としてきたが、浅木氏はそれを体現してきたのだ。浅木氏はホンダの未来を創っていく後輩たちに、負けっぱなしの経験のままで終わらせては「ダメだ」と思ったという。静かに熱く話をしてくれる浅木氏の言葉には重みがあり、ホンダ愛が溢れていた。浅木氏の話は核心を突いているからこそ、響くものがあった。

■4. 危機でも目標を見失わず「選択と集中」で目標達成

浅木氏がF1に戻ってきた当時は、2冠のフェルナンド・アロンソにはF1で戦えるレベルに達していない「GP2エンジンだ」とまで言われるほど、“遅くて壊れるエンジン”で、やるべき事はとにかく多かった。

そんな時に開発責任者として就任し、仕事の優先順位として何を選択して何に集中したのだろうか?

「当時は、テストができないような信頼性をまず上げろと言いました。テストができなきゃパワーのテストもできない。実装してもチームに迷惑をかけますしね。その次に毎レース大変だけど、メンテナンスをして走れる箇所の対策は後回しにしてでもパワーを出せと指示しました」

浅木氏はまず、根本的なパワーユニットの問題点を洗い出し、難解なレギュレーションを読み解くことに集中した。

この頃は、これ以上ホンダの改善を待てないマクラーレンからは契約を打ち切られ、F1撤退の危機に瀕していたところをトロロッソのフランツ・トスト代表がホンダを信じてくれたおかげで、2018年から中堅チームのトロロッソと組む事が決まり、なんとかF1に生き残れたという時期であった。まさに「捨てる神あれば拾う神あり」だった。

浅木氏はとにかく各現場で話を聞いた。現状を知ることで、こうなるはずなのに、なぜこうなったのか、問題を1つずつ紐解きながら答え合わせをして状況把握に努めた。そしてHRD Sakuraの中だけにとどまらず世界中に20万人も従業員がいるホンダの中に状況を打開する技術がないかを探し求め、航空機エンジン部門に当時の大きな弱点の問題解決につながる技術があることにたどり着いた。つまり、オールホンダで勝ちに行く姿勢に変えていったのである。


HondaJet量産1号機の初飛行(2014年/02:52)

浅木氏が理解したのはこうしたパワーユニットの技術的な問題だけではない。技術者のマインドも理解し、世界中で活躍するホンダにも目を向け、さらにF1チーム側の状況も理解した。マクロもミクロも把握した上で、目標達成をするために文字通り奔走した。

浅木氏は、当時ホンダF1がどん底の状態でも、“最終目標はF1チャンピオン”ということはブレなかった。そのためには強いチームと組む事が必要で、2010年から4連覇を成し遂げた実績を持ち、勝ち方を知っているレッドブルF1と組まないと勝てないのは分かっていたという。

そのレッドブルF1と組むためには、姉妹チームのトロロッソに短期間で好結果をもたらすのが最も説得力があることも理解した上で、浅木氏は戦略を練った。遅くて壊れるエンジンを、速くて壊れない完璧なエンジンにするにはまだまだ時間が必要だ。しかしF1の世界はとにかく決断が早く、ホンダの都合でレッドブルは待ってくれない。

当時レッドブルは搭載していたルノーとホンダ、どちらを選べば再び勝てるのかを天秤に掛けていた。それを理解していた浅木氏は、速いエンジンにすることに集中した。遅くて壊れないエンジンより、速いエンジンの方が可能性を感じる。

リーダーとして社会で活躍する人は多いだろうが、やるべき事が多い中で選択するのはとても難しいのを経験した人も多いだろう。そんな時に、浅木氏は目標を決めたら「選択と集中」が大事だと力強く語ってくれた。何に集中するのかを選択することは技術者のセンスでもあり、その時の状況を見て何が一番かを選ぶという柔軟さも持ち合わせる。

目先の問題のみならず全体を把握しながらプロジェクトを推し進めていくのは、他の仕事でも役立つ“技術”であり、プロジェクトマネジメントやリーダーシップ論とも言えるだろう。多くの社会人にも役立つ技術だ。

そして2018年、トロロッソとの初年度の2戦目で4位に入賞した。浅木氏の狙い通り、まずは汚名返上。遅いという印象だったホンダが「速い」という印象に変わった。この結果を見てレッドブルもホンダとの契約に前向きになっていったはずだ。

浅木氏は「F1も軽自動車も同じ」だという。それは、どちらも規定で縛られた範囲の中で技術競争が行われるという意味である。その過程は、業界全体を把握し、社内を把握し、問題を把握したら、何をするべきかを選択して集中し、1つずつ課題をクリアして成長して目標を達成していくというものであり、たしかに同じだ。

しかし、まだF1チャンピオンへの道のりははるかに遠く、さらなる試練が待ち受けていた。

■5. 優勝達成、王座へあと1歩という中で「F1参戦終了」・・・それでも諦めず王座獲得

2018年に速さを“魅せた”ことで、2019年はレッドブルと組む事に成功し、ホンダはレッドブルのお膝元オーストリアGPでやっと優勝、その後も健闘を見せて年間3勝を達成した。トロロッソも2度の表彰台を獲得し、ホンダは着実に成果を挙げていった。

2020年は新型コロナウイルスの影響を受けたものの、レッドブルは年間2勝でランキング2位、ホンダを救ってくれたトロロッソ改めアルファタウリも1勝したことで、ホンダはこの年も年間3勝を達成した。


ピエール・ガスリーはアルファタウリF1の母国イタリアGPで優勝した

しかし、2020年10月2日、ホンダは「2021年シーズン限りでのF1参戦終了」を発表。理由は、「2050年カーボンニュートラルの実現」のためF1で培った人材が必要だということだった。

浅木氏でさえも寝耳に水で、発表の10日前にこの決定を突然聞かされた。外野の我々も大きなショックを受けたが、現場の当事者ならもっと大きなショックを受ける場面だ。

しかし浅木氏に落ち込んでいる暇はない。残された1年間で出来る事を考え抜き、発表までの10日間で「最後のシーズンにはチャンピオンになるために新骨格エンジンを投入させてほしい」と八郷社長(当時)に直訴、レッドブルにもエンジンを変えさせてほしいと説明するなどとにかく奔走し、眠れなかったという。こんな場面でもチャンピオンという大きな目標をブレずに見ていた。

そして撤退発表後、ショックを受けている数百人の技術者の前で、このままメルセデスPUに負けて終わるわけにはいかない、最終年は技術者の意地を見せるぞと鼓舞し、本来は“ありえない期間”で新骨格エンジンを開発して戦う決断をしたことを伝えると、文字通り技術者の目の色は変わりSakuraは一丸となった。

危機的状況でも、リーダーとして諦めず、部下に道筋を示して、ワンチームにまとめあげた結果、2021年の最終戦に劇的な勝利を挙げたフェルスタッペンが初のチャンピオンを獲得し、ホンダは有終の美を飾ったのだ。

■6. HRCに集約してレースに集中

ホンダのF1への挑戦はこれで終わったかに見えたが、2022年はレッドブルからの要請を受けて新会社「レッドブル・パワートレインズ(RBPT)」へのPUのOEM供給と運用サポートという技術支援を行うことを決断。つまりホンダ本社としてはF1を止めたが、技術側のSakuraはこれまで通りF1の仕事を続けることになった。

そしてホンダの4輪レース部門は2輪で幾度も世界選手権を制してきたHRC(ホンダ・レーシング)に合流し、レース専門会社として量産車との役割が明確に切り分けられた。会社としてレースだけに集中できるシンプルな構造となったのだ。

ホンダという量産車の会社は、売上や利益も当然追求しながらEVや燃料電池自動車を軸としたカーボンニュートラルの実現を目指しているのだが、HRCは純粋なレース会社であるため、やるかどうかもわからない2026年以降もF1に参戦し勝てるように技術屋として準備を始めることができていて、すでに新規定に対応した技術の要素研究に着手していると明かしてくれた。参戦するぞと言われた時にはいつでも勝てる準備を整えておく。これがホンダだ。

あとはホンダ本社が自動車会社としてF1参戦のメリットをどう見出せるかだろうが、ホンダが本業でのカーボンニュートラル実現を目的にF1を止めると宣言した直後、F1はカーボンニュートラル化を宣言、さらにアメリカ市場でF1人気に火が付いた。アメリカ市場はホンダとしても重要な収益の柱で、ホンダにとってF1を続ける意義が整ったと見える。その後、アウディとフォードがF1参戦を表明、ポルシェやGMなども参戦を希望しており、世界中の強豪メーカーの中でホンダが勝てばさらにブランド力を高めることができるだろう。

2022年F1日本GPでフェルスタッペンは2連覇を達成、後日レッドブルもタイトルを獲得したことで、名実ともにホンダは世界一に輝いた。またこの日本GPから「HONDA」ロゴが復活、さらにレッドブルからのご指名を受けて浅木氏がホンダのお膝元の鈴鹿サーキットで表彰台に上るという最高の結果になった。

そのF1日本GPが行われてる土曜日、ファンイベントに登壇するために栃木県から鈴鹿サーキットへ出張していた浅木氏と田辺氏。午前中にファンイベントを終えたばかりの浅木氏に貴重な時間を割いて頂き、「人を活かす」ということにフォーカスした独占取材を敢行したのだった。

浅木氏は具体的に何をしてホンダを世界一に導いたのか?

■7. 世界一になるための「人材マネジメント術」

「世界一」と言葉で言うのは簡単だが、やり遂げるのは簡単ではない。

相手はパワーユニット時代に入ってから圧倒的な強さを発揮し続けてきたメルセデスだ。あのフェラーリでもルノーでも太刀打ちできないほどの存在で、外部からは見えない設備や技術力、優秀な人が揃っているであろうことは想像に難くない。

そんな強敵に対して、浅木氏は一体何をして世界一に導いたのか?話を聞いていくうちに分かったのは、グループで20万人を超えるホンダに眠っていた宝である「人」を見つけ出し、磨いて輝かせ、技術者のポテンシャルを最大限に引き出した、浅木流「人を動かす」技術だった。

F1やGTなどのレース活動の拠点であるSakuraには、ホンダF1最終年の2021年よりも人は減ったものの、数百名(非公開)の人が働いている。

書籍の中でも、浅木氏の下で働く人が「俯瞰して見る力がすごい」と語っている場面がある。仕事を指揮する上で、全体を見て、今の課題を見つけ出し、優先順位をつけていくことはリーダーとして非常に重要なことだ。

しかし、やるべき事が多いと人は迷う。これについて浅木氏は、「選択と集中という言葉を使います。技術者の感性の部分と、マネジメントの部分と2つが混ざるんですよね」と言う。

「技術者のセンスを見極め、その時の状況を見て、何が一番か見ます。今は何に集中すべきか、いま何が一番なのか。生き残るためには何がダメなのか、もちろん良いところも見ます」と臨機応変に判断してきたという。

ただの技術者ではない、大型プロジェクトを成功させてきたリーダーの取り組み方が垣間見えた。

■8. 優秀な80点の人と一点突破の100点の人を組み合わせた強い組織作り

しかし、最も難しいのは「人」かもしれない。みんな個性があり、フォーマットは通用しない。

技術者は信念を持ってこだわりが強い人も多く、特にホンダは自由で勝手にやって良いという文化がある会社で有名だ。浅木氏自身も同じ技術者として彼らの個性はよく理解しているわけだが、ワンチームとして束ねるのが難しい人がいる場合はどうしてきたのか?

「その当時はそういった診断基準があったわけではないですが、人類史に残る発明や発見をしたエジソンやアインシュタインはアスペルガー傾向があったと言われています。彼らは他が見えなくなるくらい集中力が凄いんです。苦手な領域がたくさんあって周りからの理解が得られないことがあるのかもしれませんが、そういった力は本当に才能だと思っています」

「そういうタイプの人が活躍できる組織を作れば相当強いわけです。普通の優秀な人を何百人集めても80点のものしかできない。でも、他に何もできなくてもこの分野だけは100点が取れるみたいな人がいないとなかなか世界一になれないんですよ」

「世界一を目指すならそういう人に得意分野を100点にしてもらって、ダメなところをフォローする組織にしないと。尖った変わり者も何割かいないと難しいですよね。彼らがいないと問題を突破できなかったりするので、それを見抜かないと組織は作れないんです」

「普通はこれを1年、2年、3年かけて組織を作っていくんですけど、F1は時間がないのが苦しい。このままだと撤退という状況でしたからね」

F1のように短期間で結果を出さなければならない仕事では、尖った人の突破力がないと無理だったという。

浅木氏は決して差別的な表現ではなく、一人一人の個性や実力を正当に評価し、目標達成に必要な人材を集めて束ねてきたリーダーとしての言葉だった。

ホンダには多くの天才と秀才がいて、浅木氏は目標達成のためにその宝を探して磨き上げたのだ。

■9. 多種多様なコミュニケーション術

しかしチームとして束ねるのは難しいのでは?もしコミュニケーションがうまく取れないと感じる場合はどうしてきたのか?そう質問すると浅木氏は笑いながらこう語った。

「飲みに連れていって話します」

実にシンプルな回答だ。しかし、最近はいわゆる“飲みニケーション”を避ける人も多く、無理強いできない時代になってきたことで人間関係の構築に困っている人も多い。その場合、コミュニケーションはどうするのだろうか?

「飲み会が手っ取り早いけど、それが嫌なら違う手を見つけるしかないですよね。半日ぐらいその人の側にいると、仕方なしにポロッと話し出すかもしれないですしね(笑)」

浅木氏は目標達成のためにあの手この手を考え抜いてきたのだ。必要な人材だと思ったら、言うばかりではなく、引いて待つ事も必要なマネジメント術だ。

取材に同席していた広報担当者が「私も一度飲ませていただきましたが、浅木さんとまた飲みたいという人は多いんです。すごくいい話もしてもらえるし、ちゃんと聞いてくれるし、同じ目線で話してくださるんです」と多くの人に慕われているのが伝わってきた。

浅木氏は「説教もしますよ」という。嫌われたくないという人もいるかもしれないが、その人のためにアドバイスをするという。

「説教にも聞こえるかもしれないけど、お前はこれをやりたいんだろ、こういうやり方だとできないぞとアドバイスをします」

■10. 浅木氏が考えるホンダとF1活動の未来は?

将来、ホンダとしてF1に戻ってきたいと思いますか?と立場的に言いにくい質問をするとこう答えてくれた。

「はい。Sakuraのメンバー全員がそうではないかもしれないですけれど。世の中の人に喜んでもらえるような商品を作ったり、技術開発したいと思って入社している人もいて、必ずしもレースじゃないという人も多いんですよ」

「私は入社してすぐレースに行ったけど、その後ずっと量産車でした。N-BOX作って開発責任者としてメディア発表会に出て、F1やってましたって言ったらメディア受けが良くて、それからF1やってましたって言うようになりましたね」

「資料作ってても、私はF1で勝ったんだから、軽自動車でも他社さんに負けるわけないと思ってました」

「でも軽自動車でホンダが勝てるわけないと思っている人もいっぱいいたんですよね。資料を作りながら“レースはホンダのDNA”ってなんなんだともう一度振り返りました。他の自動車会社と違うところですね」

「私はハシゴ外されても動じないですし、そもそもハシゴを下りる気もない人間です。ホンダは、あれ面白いじゃんって人が集まってくる会社で、レース経験もあってここまできた会社なんです。レースはそういう技術者を作る。そういう人材が会社にいなくなると、本当に存在意義のある会社であり続けられるのかということですよね」

「研究所でやっている限り、撤退が決まったらプロジェクトチームも全部なくなってしまうけど、HRCというレース会社にしたら参戦していないカテゴリーも含めて検討は続けられると言われ、それならそうしようと」

「私がいなくなったらその会社どうなるんだよって話の時に、儲かる儲からないばかりの話になって、どんな会社でありたいかみたいな話になると困るので、(HRCで)やってます」

「もう一度F1に参戦したいかと言われると、どうなるか分からないですが、ホンダというのはそういう会社であり続けてほしいです。サラリーマンがレースやって、世界一になるなんて、そんな会社はホンダ以外にないですからね」

「なんでできないんだよ、よその会社ができてうちの会社にできないのはおかしいだろって思うような変な人間がちゃんとずっと続いてってくれると、面白い会社であり続けられるんじゃないかなと思います」

■11. 2026年以降、ホンダのF1活動はどうなるのか?

「世界一になったという自負はあるはずですから、その中から(人材が)出てくると信じていますが、誰がそうしているのかはわからないですね。5年、10年経って、その人がリーダーになったら、命題を与えられた時に能力を発揮してくれると信じてレースやってます」

「F1は忖度のない勝つか負けるか、世界一かそれ以外かが明確になる世界。ホンダがホンダであり続けるには、レースはホンダのDNAであって、そうじゃないとイメージしている人もいるかもしれませんが、私が好きだったホンダがずっと続いてほしいなという気持ちです。HRCでは継続できるようにしていきたいなと思っています」。

浅木氏と仕事をし、F1で世界一、軽自動車で日本一という成功体験をした後輩の技術者たちが、ホンダのDNAを引き継いでいくことだろう。“次の浅木氏”が創っていく未来のホンダも楽しみだ。


『ホンダF1 復活した最速のDNA(幻冬舎)』(Amazonで試し読み、Kindle版も)

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