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【トロロッソ・ホンダ特集】予選6番手を獲得したハートレー「僕は諦めない」

2018年10月07日(日)6:34 am

ホンダのホームグランプリとなるF1日本GP予選で6番手という最高の結果を残したブレンドン・ハートレー。ホンダがF1イタリアGP中にハートレーを取材した記事を公開した。ブレンドン・ハートレーという男をご紹介しよう。(提供:Honda)

■ブレンドン・ハートレー「僕は諦めない」

金色に輝く髪が印象的なニュージーランド出身のブレンドン・ハートレーは大の日本好きだ。

開幕前に都内で行われたファンイベントで自らのマシンのニックネームを募集。その名をAkabeko(赤べこ)に決め、日本のファンを喜ばせた。

28歳、挫折も経験した。レッドブル・トロロッソ・ホンダのドライバーとして、鈴鹿でベストな走りを…特別な思いで日本グランプリを迎える。(※本取材はF1イタリアGPで行ったもの)

■「レーストラックで育ったんだ」

薄いブルーの瞳に夕暮れの陽が差し込んでいた。金色の髪が柔らかに輝く。頰に浮かぶ微笑みはロンバルディアの森の妖精みたいだ。

ブレンドン・ハートレーと対峙してまず惹かれるのはその瞳だ。周りにいる人に自然と親しみを感じさせる、そんな特別な空気がこの青年には宿っている。

そして深い瞳の奥に、優しさだけでなく、うっすらと影を感じる時もある。きっといろんな経験をしてきたんだろう。

彼の人生はレースとともに始まった。最初の記憶は、いまも頭の奥に焼き付いている。

「あれは5歳か6歳のころのことだと思う」

色とりどりの記憶を引き出しから引っ張るように、ブレンドンはゆっくりと語り出した。セピア色の光景の中に父の姿が浮かぶ。父ブライアンも、モータースポーツの世界で生きてきた。息子は小さな頃からそんな父の背中を見て育った。

「人生の最初の記憶、まず浮かぶのは父親の姿だ。父もレースをやっていたから。うちはそういう家だったんだ。父だけじゃなくて、兄のネルソンもレースをやっている。僕は、レーストラックで育ったんだ」

少年は、自らの未来をパドックの向こう側に重ねた。

F1ドライバーになる。

彼にとって夢は見つけるものですらなかった。父親が人生をかけたスポーツが、やがて彼の情熱に変わるまで時間はかからなかった。

ブレンドンは6歳でカートレースを始めた。

血筋と才能は裏切らなかった。同年代の間で頭角を表すと、13歳の頃には母国ニュージーランドでキャリア初優勝を果たす。その才能は世界的に認められ、レッドブル・ジュニアチームに合格し、育成ドライバーとして育っていった。

真面目な性格もキャリア構築において役立った。ブレンドンを見てきたトロ・ロッソのトスト代表はいう。

「ブレンドンは優れたドライバーだ。私が考える、トップドライバーの要素は4つある。まずは才能。これは前提だ。

2番目はF1にかける情熱。すべてを注がなければならないし、100%を尽くさないといけない。

3番目は規律。ディシプリンというのは、何もミーティングに遅刻しないとかそういうレベルのことだけではない。食事の面での規律もそうだ。正しいことを貫けるかどうか。

そして最後は、クリエイティブであり、イノベイティブであることだ。ブレンドンはそんなトップドライバーのひとりだ。スキルが高く、テクニカル面での理解力が高く、マシンを感じることができる。素晴らしいプロフェッショナルだ」

■シーズン途中の解雇。「それでも僕は諦めなかった」

若い頃から走り続けてきた彼に、やがて困難が訪れた。

将来を嘱望(しょくぼう)された若手が壁にぶつかるのは、いかなるスポーツにおいても起こりうることだ。

若くして名を馳せたブレンドンの前に立ちはだかった挫折と失望。
もっとも衝撃が大きかったのは2010年夏、シーズン途中でレッドブル・ジュニアチームを解雇されたことだろう。

ブレンドンはその頃のことについてこう語る。

「僕の夢は終わった。2010年にはそうも思った。解雇されたわけだから。でも、僕はあきらめなかった。それが実って、今はF1で走ることができている」

辛かった過去を語る彼の表情に悲壮感はない。素晴らしき今を生きている充実感があるからだろう。

■目指すのは”Common Goal”(チーム全員の目標)。そのためにベストを尽くす。

聞きたかったのは、ドライバーの孤独についてだ。

彼らは皆、期待や重圧を背負いレースを走っている。その後ろにはサポートする何百もの人間がいる。それでも、最終的にコックピットの中で彼らはひとりだ。走り始めたドライバーの目前には、ある意味で孤独の世界が広がっている。

F1ドライバーの孤独について聞くと、彼は少し考えた。

「そうだね、あの瞬間の、あの感情を言葉で表すのはとても難しい。F1はチームスポーツだ。500人以上の人間がトロロッソに関わって、僕をサポートしてくれている。

でも、一度レースが始まれば、ある意味でコックピットの中では孤独でもある。チームではあるんだけれどね。僕がやるのは、ピットの中では極限にまで集中するということ。マインドをひとつにして」

会話中、彼の口からCommon Goal(コモンゴール=チーム全員の目標)という言葉が何度も出てきた。全員のゴール、共通の目標。そのために彼は走っているのだろう。

「プレッシャーはある。責任だってある。でもパドックのドライバーは皆そうだ。自分のベストを尽くそうと、コモンゴールのために戦っている。

僕は難しい時期も過ごしたし、あまり幸せとは言えない時期だってあった。でも、若いときは誰しもが困難に直面するもの。どんなアスリートだってね。大事なのは、どうやってそこから立ち直るのか、そして学ぶか。人はそれで成長していくんだ。今の人生は幸せだ。このチームでやれるのは楽しいし、エキサイティングな経験だ」

ブレンドンのキャリアをその横でともに走る、トレーナーのリチャード・コナーは言う。

「難しいときもあったけど、ブレンドンは精神的にタフなんだ。自分を見失った姿は見たことがない。ポジティブだし、人生を楽しんでいる。

彼とは仕事仲間でもあり、そして友人でもある。7年前、マウンテンバイクをしている時に偶然出会ってね。トラックの外でも友人として付き合えるのは嬉しいこと。パートナーとして、友人として、彼にはこれからも長いキャリアを築いてほしい。彼はそれに値する」

ブレンドンの過去の写真を見ると、肩まで長く伸びた金髪が目につく。F1ドライバーというよりは、バックパッカーか音楽家みたいだ。
リチャードは笑う。

「彼にはレース以外でもたくさん趣味があるんだ。そのひとつがギターだ。ああ、かなり上手く弾くよ。インディミュージックが好きで、歌もいい。人生を楽しんでいるんだ」

■「あまり遠くは見ないことにしているんだ。ひとつひとつクリアしていく。」

インタビューの数時間前、トロロッソの食事会場でのこと。テーブルの一番隅で、旨そうに日本食を頬張る彼を見かけた。とんかつにうどん。地中海で取れた新鮮なネタのにぎり。寿司を複数おかわりする姿も目撃した。
ブレンドンは大の日本好きだ。

「いまから鈴鹿を楽しみにしている。東京が大好きだし、日本の食事や文化を愛している。今日のランチも寿司を食べた。何よりトロ・ロッソのドライバーとして日本で走れるのはエキサイティングなことだ」

11月には29歳になる。

ドライバーとしての彼のこれからの目標はなんだろう。あまり遠くは見ないことにしているんだ、と彼は言う。

「まずは短期目標をひとつひとつクリアしていくこと。鈴鹿もそのひとつ。そうやってドライバーとして成長していくことだね」

目の前に集中する。そうやって彼はキャリアを歩んできた。

トラックの上で、人生を歩む中で、これからもその瞳は素晴らしいものを目にするだろう。時には困難だってやってくる。それでも壁に立ち向かい、この世界を生きていく。彼は長いレースの途中にいるのだ。

立ちはだかる壁を、輝く髪を揺らしながらひょいと乗り越えていく彼の姿を、僕らは未来に見るだろう。

約束の時間が終わりを告げ、彼は優雅に立ちあがり、ゆっくりとパドックへと歩いていく。柔らかな微笑みの余韻が、しばらくの間あたりに漂っていた。

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