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【F1公式動画】カナダの伝説、ジル・ビルヌーブへの息子ジャックの想いとは

2015年06月08日(月)12:12 pm

F1レジェンドのひとり、ジル・ビルヌーブ。カナダGPの舞台となる現サーキットでF1が初開催された1978年にはジル・ビルヌーブ自身が初優勝し、今ではその名が冠され「ジル・ビルヌーブ・サーキット」とされている。

今も人々の記憶に残る伝説のレーサー、ジル・ビルヌーブ。この公式映像では、貴重な走行動画とともに、息子ジャック・ビルヌーブが父への想いを語っている。

■モントリオールの世界的なヒーロー

「素晴らしいことだ。なぜなら、スポーツマンというより、アーティストとして求められることを成し遂げたからね。
その一つとして、カナダ人で初めて国際的なレベルで戦ったことが上げられるし、そしてまちがいなくモントリオールで初めて開催されたGPで優勝したことも上げられる」

■27より12

「みんなは27が素晴らしい番号だと思っているだろうけど、この番号は父が亡くなった時の番号だ。私にとってメインの番号は、初優勝した時の12だ。僕にとってもより好きな番号だよ」

「おそらく、子どもとして、父をただ父としてみていた。年が経つにつれて、父はみんなが尊敬するヒーローになっていった。そして、達成や成功がより見えやすくなった。同時にミスもね」

■限界への挑戦

「全ては彼の情熱であることがわかる。限界に挑戦する情熱、車に挑戦するということだけではなく、彼の楽しみの一つは、限界を超えて、車を超えられるか否かだった」

「限界に常に挑戦するという意味では、スキーやヘリコプターに乗ったって彼はいつも同じだったよ。ただレースは、究極だったんだよ。なぜなら、国際的で、世界では一番大きなことで、プロフェッショナルなことだったから。他のことはただの趣味だったからね」

「世界的に活動したいという想いがあったから、F1ということなんだ。これが彼の人生なんだよ。F1とリンクしていたわけではないし、車でもない、車の技術でもない、彼の人生は、スピードや、危険な要素、判断の要素(つまり、どこが限界なんだ?と判断すること)と大きく関係していたんだ」

「人間として、ドライバーとして、ヒーローとして何ができるかというと、違いを作る(状況を改善する)ことなんだよ。1周か2周して、まだいける、じゃあさらに限界に近づくために、セットアップやドライビングを変えたりする。父はそれを楽しんでいたよ」

ジル・ビルヌーブ・サーキットのスタートライン上にはフランス語で次のように書かれている。

Salut gilles
(やぁ、ジル)

■【F1公式動画】Gilles Villeneuve: A Canadian legend

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