F1史上最多となるドライバーズタイトル獲得記録は、現在スキー事故で頭に負った傷害からのリハビリに取り組んでいるミハエル・シューマッハの7度であることは言うまでもない。
だが、かつてフェラーリでシューマッハのチームメートであったルーベンス・バリチェロが、実際にはシューマッハの記録は6度のはずだったと主張している。
シューマッハとバリチェロは2000年から2005年にかけてチームメートとしてフェラーリで戦っていた。この間、シューマッハは2000年から2004年まで5年連続でF1王座に輝いている。
だが、当時のチーム代表であったジャン・トッド(現FIA会長)は、明確にシューマッハを「ナンバー1」ドライバーであると位置づけ、批判されることが多かったチームオーダーも積極的に発令していたことで知られている。
2011年シーズンを最後にF1のシートを失い、現在は母国ブラジルでストックカーレースに参戦しているバリチェロは、「シューマッハが取った7つのタイトルのうち、ひとつは僕のものだったはずだ」と主張した。
バリチェロは、たびたびチームからシューマッハに順位を譲るよう指示を受けたが、その最たるものが2002年のオーストリアGPだったという。そのときには自分が大きくレースをリードしていたというバリチェロは次のように語った。
「僕は彼に追い抜かせようとはしなかったんだ。だけど、フェラーリから受け取った情報によって考えを変えたよ」
ブラジルのテレビ局『Bandeirantes(バンデイランチェス)』にそう語った42歳のバリチェロは、「だから、アクセルから足を離したんだ」と付け加えた。
F1キャリアを通じて322回決勝レースで戦った最多記録保持者であるバリチェロは、フェラーリ在籍時代の2002年と2004年にはシューマッハに次ぐランキング2位となっている。特に2004年はシューマッハが1位でバリチェロが2位というレースが7つもあった。バリチェロとしては、その何レースかはチームオーダーによって勝利を譲ったものであり、それがなければ本来は自分がF1チャンピオンになっていたはずだと言いたいようだ。
だが、バリチェロは、母国ブラジルでもしばしばシューマッハなどのチームメートに比べて「遅い」という批判を受けていた。
「気にしていないよ。だけど、家族のことについて言われるのは嫌なものだけどね」
そう語ったバリチェロだが、ブラジルのストックカーシリーズでは昨年チャンピオンに輝いている。
「自分が好きなことをしているし、ブラジルで僕がいいドライバーだと示すことができているのをうれしく思っているよ」とバリチェロは付け加えた。