フェラーリ前会長のルカ・ディ・モンテゼモーロが、名門F1チームの不振の責任を問われてフェラーリを追われたとされていることに対し、反論を行った。
今週月曜日の13日に正式にフェラーリ会長の職をフィアット・クライスラーの最高責任者であるセルジオ・マルキオンネに譲ったモンテゼモーロは、イタリアのテレビ局『RAI』に次のように語った。
「結果が伴わなかった? 1999年以降、15年の間に14ものタイトルを獲得したことを思い出して欲しいね」
「幸か不幸か、スポーツは精密科学ではないんだ。そしてF1にも周期がある。我々の周期は非常に長かったよ」
「過去数年においては、我々が最も多く勝利を収めていた。2008年、2010年、そして2012年には最後のレースでF1タイトルを取り損ねた。一番残念だったのは最後のだ。だが、それがスポーツなんだ」
「ルノーが2年にわたってその周期を迎えていたが、今年はレッドブルからメルセデスAMGへと周期が移ったんだ」
「フェラーリでは、今日のクルマがハイブリッドであることを考慮した上で、多くの作業と投資により、これから新たな周期を迎えようとしているよ」
モンテゼモーロは、自分のフェラーリ離脱に関して最も残念だったことが、そのときのオーナー一族の姿勢だったと次のように続けた。
「私はこれまで(フィアットを創業した)アニェッリ一族とは強い関係を有していたし、2004年には非常に重要なことを行ったと思っている。ものすごく劇的な環境のもとでフィアットの会長職に就くことに同意したときにね」
「だから、せめて『ありがとう』の言葉くらいあってもよかったんじゃないかな」
「それに関して、私が快く思っていないことを隠すつもりはないよ。だが、それも人生の一部だし、オーナーがそうした判断を下すことができるというのはその通りだ」
モンテゼモーロは、自分が会長職を降りることになったのは、フェラーリの親会社であるフィアット・クライスラーがニューヨーク市場に上場することに関係していたのだと語っている。
「フィアット・クライスラーがアメリカの市場に上場する関係で、すべてのことが少しばかり急激に起こってしまった」
「大きなグループの中にフェラーリを有しておくことが必要とされていたし、そのことが少しばかり時間を早めてしまったのだと思う」
最後に、モンテゼモーロはF1日本GP(第15戦)で深刻な重傷を負ったジュール・ビアンキについて次のように述べた。
「我々は安全性に関しては大きな進歩を遂げてきた。残念ながら、それでも我々のメンバーであるジュール・ビアンキに起きたような事故は起こってしまう」
そう語ったモンテゼモーロは、次のように結んでいる。
「だが、トラクター(撤去作業用の車両)があそこにいるべきではなかったよ」