NEXT...F1開催スケジュール

土壇場でプロストが後ろに。セナ葬儀のエピソード

2014年05月07日(水)17:14 pm

伝説的元F1ドライバーであるアイルトン・セナが1994年5月1日にF1サンマリノGPの舞台となったイモラ・サーキットで事故死してから今年でちょうど20年を迎えた。この時期、さまざまなメディアがセナの話題を取り上げているが、セナの葬儀のときに、土壇場で棺(ひつぎ)の付添人の順番が入れ替えられていたというエピソードが紹介されている。

これは、当時セナの個人的なアシスタントを務めていたベティーズ・アサンプサオがブラジルの『Agencia Estado(アジェンシア・エスタード)』に語ったものだ。アサンプサオはその後ウィリアムズの共同設立者であるパトリック・ヘッドと結婚している。

アサンプサオによれば、彼女が1994年5月5日に行われたセナの葬儀会場に着いたとき、棺を担ぐ付添人の先頭に元F1ドライバーのジャッキー・スチュワートとアラン・プロストが配置される予定になっていることが分かった。

3度F1チャンピオンに輝いたスチュワートは、セナが最大のライバルであるプロストをコース外に押し出して1990年のF1タイトルを確定させたことに対し非難を行い、そのためにセナとの関係が著しく悪化していた。

スチュワート本人も、先週イモラで行われたセナ没後20年記念イベントにおいて、『Daily Mail(デイリー・メール)』紙に対し、セナから「あなたとはもう二度と口をきかない」と言われたと語っている。

スチュワートは、その1年後にはセナとの関係は修復されていたと主張。同様にプロストとセナの確執も、プロストがリタイアした1994年にはやわらいでいたとしている。

だが、アサンプサオは、葬儀会場に着いてスチュワートとプロストが棺の一番前に位置することが分かったときにはひどい不快感を覚えたと明かした。

アサンプサオはその日、友人や家族、そして世界からブラジルへ到着したゲストらを市内からモルンビー墓地へ案内するなどして少し遅れて葬儀会場に到着した。すると、彼女を見つけた元F1ドライバーであり、セナのチームメートだったことでも知られるゲルハルト・ベルガーが駆け寄ってきたという。

「アイルトンのF1における親友であるゲルハルト・ベルガーが私のところに駆け寄ってきて『ベティーズ、何とかしろよ』と叫んだんです」

「誰かに聞いたんだが、アランとジャッキーが棺の先頭らしい。まるでF1タイトルの獲得順じゃないか!」、と語ったベルガーはさらに、「これは変えなきゃだめだ。あのふたりはアイルトンがこれまでの人生で一番嫌っていた連中だぞ」とベルガーはアサンプサオに詰め寄ったという。

「彼(ベルガー)はとても驚いて、率直にそう言っていました。私も同じ気持ちでした。胃が痛みはじめました」

そう語ったアサンプサオは、さらに続けた。

「私はすぐに墓地の門のところまで引き返しました。そこで私はジェラルド・ロドリゲスとでくわしたんです。彼はルーベンス(バリチェロ)のマネジャーで、親友でした」

「私は彼に言ったんです。信じられないわよ。ジャッキー・スチュワートとアラン・プロストが一番前になっているの。アイルトンは棺の中で背中を向けてしまうわ!」

「私の考えではゲルハルトが一番前にいるべきなのは間違いのないことでした。彼はアイルトンの全盛期のほとんどにおいて、サーキットの中でも外でもずっと彼と一緒でしたからね」

アサンプサオは、ベルガーのとなりに、やはりブラジル出身の元F1チャンピオンであるエマーソン・フィッティパルディがくるように調整を行ったという。

最終的に、プロストはフィッティパルディの後ろとなり、スチュワートはさらに2列後方に下げられた。

「私はドライバーたちがいるところに戻り、最初にどういう順序が設定されていたのかなど何も知らないふりをしていました」

そう語ったアサンプサオは、次のように締めくくっている。

「彼の友人を手伝い、何のためらいもなくその判断をした私を見て、アイルトンもきっと満足してくれたと思っています。彼もそういう人でしたから」

前後の記事
最新ニュースをもっと見る  >
TopNewsの最新ニュースが読めるよ!
facebookフォロー Twitterフォロー RSSでチェック