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「レースは走る実験室」 故本田宗一郎氏の言葉を胸にF1で73勝目へ

2013年05月16日(木)11:50 am

「レースは走る実験室」
ホンダ創業者・故本田宗一郎氏の言葉通り、第4期ホンダF1はレースを通じて技術開発を進め、市販車にも反映される。

2015年から1.6リッター(1600cc)ターボエンジンでの復帰が本日16時に発表される。

パートナーは、ホンダ第2期で黄金時代を築いたマクラーレンとなる。
マクラーレンは現在メルセデス・ベンツのエンジンを使用しているが、先週末のF1スペインGP期間中に、『期限までにメルセデスと来季のF1エンジン供給契約を延長しなかった』とドイツメディアが報じたことから、F1の現場では「マクラーレン・ホンダの復活」を意味すると言われ、世界中のメディアが復帰を歓迎していた。

これでホンダのF1活動は第4期となる。通算72勝。ここで第1期から第3期までの活動を簡単に振り返ってみよう。

第1期は、1964年から1968年までの4年間で2勝を挙げている。
"やればできる"という信念で世界最高峰のF1へ挑戦。初勝利はリッチー・ギンサー、2勝目はジョン・サーティース。通算2勝を挙げた。
68年を最後に撤退を決めた理由は、当時の環境問題や排ガス規制、エネルギー危機といった問題を解決するために、F1への挑戦の中で鍛え上げられたエンジニアの技術力とレーシングスピリットを必要としていたためだった。

第2期は、1983年から1992年の10年間で69勝を挙げ、最強エンジンと言われていた。
"走る実験室"の通り、実践テストを繰り返した。
第2期はエンジンのみの供給に徹(てっ)し、マクラーレン、ウィリアムズ、ロータス、ティレル、スピリットなどとパートナーを組み、5年連続で年間王者を獲得するなど黄金時代を築いた。
現役のF1ドライバーを含めた世界中のレーシングドライバーたちの子ども時代のあこがれとなった『マクラーレン・ホンダに乗るアイルトン・セナ』は一時代を築き上げ、世界中の子どもと大人に夢を抱かせた。
1992年を最後に撤退を決めた理由は、10年という節目で「目的を果たした」という理由だった。同じころ、日本もバブル経済が崩壊した時期だった。

ホンダF1撤退後の1993年以降も、実はF1界にホンダの名は残っていた。故本田宗一郎氏の長男・本田博俊氏率いる無限が、1992年から2000年まで無限ホンダとして参戦していたが、ホンダF1第3期の開始とともに撤退し、その役目を終えている。

第3期F1活動は、2000年から2008年の9年間で、1勝にとどまった。
2000年から2005年までの前期はB・A・R(現メルセデスAMG)とジョーダンへエンジンのみの供給、2006年からはホンダ単独チームとして第1期以来38年ぶりに復活、ハンガリーGPでジェンソン・バトンが自身初優勝とともにホンダも初勝利を飾ったが、2008年を最後に撤退を決定。
撤退理由は、リーマンショックの影響による業績悪化。「F1チームの運営コスト」とともに「走る実験室」から市販車への反映が少ないことなども理由だった。当時はNSXをはじめとする市販スポーツカーも販売を中止していた。

そして第4期は、2015年から始まる。エンジン供給のみとなる今回のパートナーは、黄金時代を築いた相棒『マクラーレン』、古き良き時代の復活に、世界中が注目しており、大人となった"少年少女"たちからも大きな期待を集める。

円安で利益も出ており、売り上げも好調、株価も好調、フィードバックする市販車もある、材料はそろった。
「レースは走る実験室」という故本田宗一郎氏の言葉を胸にF1へ挑戦するエンジニアたちには、実戦で鍛えられるレーシングスピリットに期待しないわけにはいかない。

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