ルーベンス・バリチェロは、2002年のオーストリアGPで、当時所属していたフェラーリからの脅しによって自身のモーターレースにおけるキャリアが絶たれていた可能性があると語った。
A1リンクで開催されていた2002年のオーストリアGPでバリチェロは首位を走っていたが、最終周の最終コーナーでチームからの指示に屈し、チームメートであると同時にフェラーリのナンバー1ドライバーとして君臨していたミハエル・シューマッハ(現メルセデスAMG)に優勝を譲った。
当時フェラーリのチーム監督を務めていた現FIA(国際自動車連盟/F1の統括団体)会長ジャン・トッドが、バリチェロへ「タイトルのために、ミハエルを先に行かせてくれ」と頼んでいるやりとりも映像に残っている。
しかし、事態はそんなに単純なものではなかったとバリチェロは述べた。
「あれは8周の間に繰り広げられた戦いだった」というバリチェロのコメントをブラジルの『Globo(グローボ)』が掲載している。
「僕がキレることなんてめったにないんだけど、(あの時は)無線に向かって叫びまくっていたよ。彼には抜かせないって言いながら、そのままゴールを目指していたんだ」
「その時だよ。彼らがもっと色んな意味で大きなことを言ったのは。それは契約に関してのことなんかじゃない」
「彼らが何を言ったのかは言えないけど、あれは人生についてよく考えさせるような脅しだった。僕にとっての大きな喜びは運転することだからね」
そのバリチェロは2011年限りでF1を離れ、今年から活躍の場をアメリカの最高峰シリーズ、インディカーに移している。
・【動画】ジャン・トッドがルーベンス・バリチェロにチームオーダーを発令した決定的瞬間