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【画像】メルセデスAMG、ミハエル・シューマッハの誕生日を祝福「成功の基盤を共に築いた創始者の一人だ」

2019年01月04日(金)12:10 pm

メルセデスAMGは3日、ミハエル・シューマッハの50歳の誕生日を祝い、チームの成功の基盤を共に築いた創始者の一人にメッセージを贈った。

1969年1月3日、ミハエル・シューマッハという名の男の子がドイツのヒュルトという小さな町に生まれた。その男の子は、最も成功したF1ドライバーになり、2019年に50歳の誕生日を迎えた。

ミハエル・シューマッハは歴代最多となる91勝を挙げ、7度のFIA F1ワールドチャンピオンを獲得し、F1を象徴する人物となった。

メルセデスAMGのトト・ヴォルフは次のように語った。

「マイケル(ミハエル・シューマッハの愛称)はF1に多大な影響を与えてきた。信じられないほどの記録を打ち立てただけではなく、まだ誰も破ることができていない記録だ。彼はまたこのスポーツを形作り、永遠に変えたんだ。

ドライバーとしてマイケルは、技術的な知識と細心の注意でF1を新しいレベルに導いた。彼はエンジニアリングの報告書から身体のトレーニングまで、あらゆる決心をして惜しみなくこなしたんだ。そして常にトラック上でのパフォーマンスを改善するための新しい方法を模索していた」

■メルセデス・ジュニアプログラム出身

ミハエル・シューマッハは1990年にメルセデス・ジュニアプログラムに加入し、グループCのスポーツカーとDTMでプロのレーシングドライバーの第一歩を踏み出した。

ミハエル・シューマッハはカール・ベンドリンガーと共に、スポーツカーのシーズン最後のレースで勝利。これがメルセデスとの最初で最後の勝利となった。

ミハエル・シューマッハは翌年F1にデビューし、ジョーダン・グランプリ、そしてベネトンへと移籍し、1994年と95年にドライバーズ・チャンピオンシップを勝ち取った。

その後フェラーリへ移籍し、F1で最も成功した時代を過ごした。マラネロでの10年間で、スクーデリアと共に2000年から2004年まで5年連続でドライバーズ・チャンピオンに輝き、1999年から2004年まで6年連続でコンストラクターズ・チャンピオンを獲得した。

■再びメルセデスに加入、成功の基盤を作る

ミハエル・シューマッハは2006年、F1からの引退を発表。しかし、2010年にメルセデスがワークスチームとしてF1へ再参戦すると、ドライバーとしてF1に復帰し、チームの長期的な成功の基盤となる能力開発において重要な役割を果たした。

「2012年にミハエル・シューマッハに初めて会った時のことを思い出すよ。チューリッヒからシンガポールへのフライト中だった」

「彼は私の隣に座っていて、バックギャモン(すごろくのようなゲーム)をしているか私に尋ねてきたんだ。私はバックギャモンでは人並みのレベルのプレイヤーだと思うが、彼は最初の2ラウンドで私を叩きのめしたんだ。フライト中、遊びながら話していたんだが、ゲームを終えた時、私のゲームは以前より上手になっていたんだ。本当に良い時間で、誠実に話しをしていたよ。そして着陸した時には、ずっと昔から知っていたように感じたんだ」

2012年末に2度目のF1引退をするまで、メルセデスAMGと戦ったミハエル・シューマッハだが、F1では一度も勝つことはなかった。

「マイケルは、我々が過去5年間で成功を収めてきた創始者の一人だよ。彼のようなドライバーは他にはない。彼の膨大な経験が我々のチームの発展に大きく貢献したんだ。彼は我々がF1に再び参戦した時に重要な役割を果たし、将来の成功の基盤を築いた人物の一人だ」

「我々は彼が私たちのためにしてくれた全てのことにとても感謝しているんだ。今日(1月3日)は我々全員があなたのために祝いたい。ハッピーバースデー、マイケル!」


2011年F1カナダGP金曜日フリー走行でのミハエル・シューマッハ。このレースは4位入賞を果たしている。


2012年F1ヨーロッパGP(スペイン・バレンシア市街地)で、メルセデスAMGと最初で最後の3位表彰台を獲得。


F1引退レースとなった2012年F1ブラジルGPで記念撮影するミハエル・シューマッハ。

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