2019年にダニエル・リカルドの後任としてレッドブルのシートに収まることになったピエール・ガスリー(トロロッソ)が、日本のスーパーフォーミュラで戦ったことがF1ドライバーとして活躍するためのいい準備になったと語った。
■GP2タイトル獲得もF1デビューできなかったガスリー
2014年にレッドブルのジュニアチームメンバーとなったガスリーだが、2016年にGP2のタイトルを獲得したときには2017年シーズンにトロロッソからF1デビューする可能性があると言われていた。
だが、結局マルコはダニール・クビアトを残留させることを決断。当時マルコはガスリーについて、「彼がもしミスをあまりおかさなければGP2で3度タイトルをとれていたはずだ」と語り、まだF1に昇格させるのはふさわしくないとの判定を下していた。
マルコは、その代わりに2017年にはガスリーを日本のスーパーフォーミュラへ送り込んだ。
■スーパーフォーミュラがいい準備になった
ガスリーはこのときのことをドイツの『Auto Motor und Sport(アウト・モートア・ウント・シュポルト)』に次のように語った。
「僕は言葉も分からなかったし、空港に着いたときもそこからどこに行けばいいのかさえ分からなかったんだ。文化も全然違うしね。楽ではなかったよ」
「だけど、間違いなくF1に向けてのいい準備になったよ」
ガスリーはスーパーフォーミュラでも最後までタイトル争いを演じるというパフォーマンスを発揮してみせた。
そして2017年のF1第15戦マレーシアGPでトロロッソからF1デビューを飾ったガスリーはその年に5レースに出走。ベストリザルトは第19戦ブラジルGPでの12位だった。
しかし、迎えた2018年シーズンはやはり昨年の第17戦アメリカGP以来トロロッソのドライバーを務めているチームメートのブレンドン・ハートレーを大きくしのぐ成績を収めているガスリーは、リカルドの抜けた穴を埋める形でついに2019年には念願であったレッドブルのシートに座ることになった。
■マルコに自分の力をアピールすることができた
ガスリーは、マルコにも自分の力を納得させることができたと次のように続けた。
「僕がもっと若かったときには、彼は僕に多くのことを要求してきた。だけど僕はできる限りのことをしてすべての挑戦をマスターしてきた。僕は彼に自分が本当のファイターであり、決して夢をあきらめることはしないし、この場にふさわしいんだということを示したかったんだ」
とはいえ、ガスリーのレッドブル昇格がスムーズに決まったのは、一時は有望な若手がひしめきあっていたレッドブルのジュニアドライバープログラムに現在はあまり目立ったドライバーがいないことも幸いしたのは確かだろう。
レッドブルがこれまで掲げてきたジュニアチームドライバーの中からレッドブルドライバーを育てるという方針にのっとろうとすれば、現時点での選択肢はガスリーしかなかったとも言える。
競争相手がいなかったことでプレッシャーもあまりなかったのではないかと尋ねられたガスリーは次のように答えた。
「いや、僕は自分で自分にプレッシャーをかけているんだ。だからそのためにほかのドライバーは必要ないよ。でも、数年前に比べると(ジュニアチームの)ドライバーが少なくなっているのは事実だけどね」