本田宗一郎(本田技研工業の設立者)の息子である本田博俊氏が、フェルナンド・アロンソ(マクラーレン)に対する同情の念を吐露した。
2015年からマクラーレンへのワークスPU(パワーユニット)供給を開始したホンダだったが、結局3年間にわたってマクラーレン・ホンダは勝利どころか表彰台争いすらすることができず、ついに2017年限りで両者の関係が解消されることとなった。
マクラーレンは来季以降ルノーからPU供給を受けることになったが、これはアロンソがそうすべきだとチームに圧力をかけていたものだと考えられている。
■アロンソは貴重な3年間をむだにした
「アロンソは若く、知的で、魅力的な男だ」
1992年から2000年にかけてエンジンサプライヤーとしてF1に参戦し、フットワーク、ロータス、リジェ、プロスト、ジョーダンにエンジンを供給していた無限の設立者である本田博俊氏は、フランスの『L’Equipe(レキップ)』にそう語ると次のように続けた。
「彼がひどく失望してしまった理由はすごくよく分かるよ」
「アスリートがプロとして活動できる時間は非常に短いし、彼のキャリアにおいてすごく重要な時期に3年間をむだに過ごしたことは非常にストレスがたまるものだっただろう」
「だが、それは私のせいではないよ。ホンダに聞いてくれたまえ!」
■宗一郎は負けることが大嫌いだった
マクラーレンと決別したホンダは、2018年からはレッドブルのジュニアチームであるトロロッソにPUを供給することになっている。
そしてホンダは今週、2016年から2年にわたってホンダF1プロジェクト総責任者を務めていた長谷川祐介氏をF1活動からはずし、田辺豊治氏をホンダR&DヨーロッパU.K.のF1テクニカル・ディレクターに据える人事異動を発表。技術開発やレース活動全般はHRD Sakuraの執行役員が統括し、F1やインディカーで多くの経験を持つ田辺氏をレース現場での活動に専念させるという組織変更を行うことを明らかにしている。
「はっきりと言えることがひとつある。日本にはF1で戦うという文化があるんだ。我々は非常に礼儀をわきまえているが、戦うことはできる」
そう述べた本田博俊氏は、1991年に84歳で亡くなった宗一郎氏のことを思いだしながら次のように付け加えた。
「私の父は本当の戦士だったし、2番になることを嫌っていた。彼が亡くなる少し前、(アイルトン)セナがもう勝利することができなくなっていたとき、私の父は病院のベッドの上で文句を言っていたよ」