かつてF1アメリカGPの主催者を務めていたタボ・ヘルムンドが、マノーを買収する一歩手前のところまで行っていたことを認めるとともに、その契約成立に向けてホンダとも交渉を行っていたことを認めた。
結局、出資者を見つけることができずチーム解散に追い込まれたマノーだが、実際のところ2016年シーズンの途中から新オーナー探しを進めていた。
■かなり進展していた買収交渉
現在アメリカGPが開催されているCOTA(サーキット・オブ・ジ・アメリカズ)の建設にもかかわっていたことで知られるヘルムンドは、マノーとの買収交渉はかなりのところまで進んでいたと『Austin American Statesman(オースティン・アメリカン・ステーツマン)』に次のように語った。
「一時は条件面で合意していたんだ」
「最初の交渉のときには、我々はアンソニー・ハミルトンを巻き込もうとさえしていたんだ。ルイス(ハミルトン/メルセデスAMG)の父親のね」
そう語ったヘルムンドは、そのとき拒絶されたチーム買い取り価格は2,200万ポンド(約31億円)であったことも明らかにしている。
■メルセデスやホンダとも交渉していた
さらにヘルムンドは、マノーを買収するにあたってメルセデスやホンダとも交渉を行っていたことを明かし、次のように続けた。
「我々は大きな自動車メーカーであるメルセデスかホンダとのパートナーシップ形成を目指していたんだ。我々はそのどちらとも話し合いを行ったよ」
「そうすればモーター(エンジン)も値引きしてもらえるし、ドライバーだって得られるだろうからね」
■すべてを変えたブラジルGP
ヘルムンドによれば、マノーの買収交渉は昨年の第20戦として行われたブラジルGPまではうまく進んでいたのだという。
第19戦終了時点ではコンストラクターズランキング10位につけていたマノーだったが、ブラジルGP決勝でそれまでノーポイントだったザウバーがフェリペ・ナッセの9位入賞によって得た2ポイントでマノーを逆転。これによってマノーは順位に応じて支給される巨額のF1分配金を失うことになってしまっていた。
「彼ら(マノー)は我々の条件に歩み寄り始めていたんだ。そうしたら、ブラジルの件が起きてしまったのさ」とヘルムンドは付け加えた。
●新車お披露目第一号はマノー・・・2017年カーの風洞モデルが公開される