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【動画】F1ヨーロッパGPの歴史 マンセルF1初優勝、セナ雨の1周目に4台抜き、アロンソ母国優勝、シューマッハ復帰後初表彰台

2016年06月17日(金)11:42 am

F1ヨーロッパGPが2012年スペイン・バレンシアでの開催以来、4年ぶりに開催される。場所はアゼルバイジャン共和国のバクー市街地だ。

過去のF1ヨーロッパGPは、別の開催地が経済事情など何らかの理由でキャンセルされた際に急きょ設定されたという経緯があった。最近では、F1の1カ国1開催というルールに則るため、名称を「F1ヨーロッパGP」としてルールを回避し、同じ国で2回のレースが開催されてきた。

また、数々の名勝負や記録なども残っている、往年のファンには懐かしい場面が多いグランプリだ。

●【動画】F1ヨーロッパGPの歴史 Your guide to the European Grand Prix(3:58)[F1.comへ]

■イギリスでの開催 - 1983年ピケ、1985年マンセル、1993年セナ

1983年: 現代のF1において、F1ヨーロッパGPが開催されたのは1983年イギリス・ブランズハッチ。ニューヨークGPがキャンセルになったことで急きょ開催が決まった。1983年の優勝者は3度の元F1世界王者ネルソン・ピケ(ブラバム・BMW)だ。


1985年:この年もブランズハッチで開催され、ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)がF1参戦72戦目にして初優勝を果たしている。



1993年:大分県オートポリスの運営会社が倒産し、イギリス・ドニントンパークで開催となった。雨の決勝、オープニングラップでのアイルトン・セナ(マクラーレン・フォード)の走りは、伝説の一つとして有名だ。スタート直後、予選4位だったアイルトン・セナが予選3位のミハエル・シューマッハ(ベネトン・フォード)を牽制してる間に5番手に順位を落とすも、そこから怒濤の追い上げでシューマッハ、カール・ベンドリンガー(ザウバー・イルモア)、デーモン・ヒル(ウィリアムズ・ルノー)、アラン・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)までも次々と抜き去り、トップでスタートラインに戻ってきた。1993年の優勝者はアイルトン・セナだ。

■スペインでの開催 - 1994年、1997年、2008-12年


1994年:この年のヨーロッパGPはヘレスで開催され、ミハエル・シューマッハが優勝している。
第3戦サンマリノGPでアイルトン・セナ(ウィリアムズ・ルノー)が事故死したこの年、チャンピオン争いはミハエル・シューマッハ(ベネトン・フォード)92点とデーモン・ヒル(ウィリアムズ・ルノー)91点の接戦となった。


1997年:ヘレスで、この年の最終戦として開催され、ミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)がF1参戦99戦目での初優勝を飾った。また、マクラーレンは1991年F1日本GP以来のワン・ツーフィニッシュを飾っている。
この年はジャック・ビルヌーブ(ウィリアムズ・ルノー)とミハエル・シューマッハ(フェラーリ)の激しいチャンピオン争いとなり、最終戦のこのヨーロッパGPで、ポイントで王手をかけていたシューマッハがビルヌーブに故意にぶつけるも自身がリタイア、チャンピオン争いが決着した。シューマッハはレース後に年間ランキング2位をはく奪されている。

■ドイツでの開催 - 1984年、1995-6年、1999-2007年


1999年:ドイツ・ニュルブルクリンク。ジョニー・ハーバート(スチュワート・フォード)が優勝。自身3勝目にして最後の優勝。スチュワート・グランプリにとっては唯一の優勝だった。


2007年:ドイツ・ニュルブルクリンク。激しい雨のため多くのマシンがスピンする中、フェリペ・マッサ(フェラーリ)接触しながらも抜き去ったフェルナンド・アロンソ(マクラーレン・メルセデス)が優勝。表彰式前にはマッサがアロンソに激しく抗議した。


2010年:スペイン・バレンシア。マーク・ウェバー(レッドブル・ルノー)がヘイキ・コバライネン(ロータス・コスワース)を追い抜こうと近づいたが、乗り上げて宙に舞ってしまった。幸い大事には至らなかった。


2012年:スペイン・バレンシアでの最後のグランプリ。スペインは深刻な経済危機の年で、費用のかかる開催に反対する一部住民がデモ行進する中、地元の英雄フェルナンド・アロンソ(フェラーリ)が優勝。そしてミハエル・シューマッハ(メルセデスAMG)は復帰後初の表彰台を獲得したが、この年のF1日本GPで二度目のF1引退を発表している。

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