マクラーレン・グループ総帥のロン・デニスが、2012年までマクラーレンに在籍していたかつての教え子ルイス・ハミルトン(メルセデスAMG)について語った。
■マクラーレンの秘蔵っ子と呼ばれていたハミルトン
8歳でカートレースを始めたハミルトンは、10歳となった1995年に母国イギリスのカートチャンピオンとなった。その年に行われたあるモータースポーツ賞の授賞式において、ハミルトンは自らデニスに近づき、「僕はルイス・ハミルトンと言います。いつか、あなたのためにレースをしたいと思っています」と告げたというエピソードが残っている。
デニスは、その3年後の1998年にハミルトンをマクラーレンの育成ドライバーに迎え、以後ずっとそのキャリアアップを支援。ハミルトンも順調にステップアップを果たし、ついに2007年にマクラーレンからF1デビューを果たすと、翌2008年には23歳で初のF1タイトルを獲得。当時の最年少チャンピオン記録を樹立していた。
だが、その後は順風満帆とはいかなかった。
68歳となるデニスは、当時のことを振り返りながら、『Marketing Magazine(マーケティング・マガジン)』に次のように語った。
「あれは誰にとっても興味深い経験だったし、順調で調和のとれた時期ではなかった」
■メルセデスに移籍し最強のF1カーを手に
その後、ハミルトンは6年間在籍したマクラーレンを離れ、2013年からはメルセデスに移籍。ハミルトンは、メルセデスでは自分自身を表現することの自由度が高く、本当の自分を表現できるのが楽しいと語っていた。
そして、F1が新たなエンジンルールを採用し、V6ターボによるパワーユニットが導入された2014年からはメルセデスAMGが圧倒的な強さを発揮。ハミルトンも2014年と2015年の2年連続で通算3度目のF1タイトルを獲得している。
だが、そのハミルトンは、いまやマクラーレンに所属していたころとはかなり雰囲気が違ってきている。宝石やタトゥーで身を飾り、ファッションや音楽の世界にも手を広げる“新たなハミルトン”が誕生したのだ。そして、そうしたことに対しては批判的な声も少なくない。
■マクラーレンにいたら好き勝手にはさせなかった
デニスも、「私は彼が言ったりやったりしていることすべてがいいと思っているわけではない」と認めている。
かつてはハミルトンの「父親代理」のような存在だったと自ら認めるデニスだが、ほかのチームへ移籍し、30歳となった今のハミルトンを見るのは「複雑な心境」だという。
デニスは、かつてのまな弟子であったハミルトンはときとして「脱線」してしまうことはあったと語ったものの、ハミルトンのことを「禁句」だととらえたりはしていないと主張し、次のように続けた。
「しかし、偉大なアスリートは、彼らが犠牲を強いられるということにおいて偉大なんだ。そして、ときとして子供時代の人格形成期にそうした犠牲が強いられることがある。だから、彼らは、誰もが好ましく思うような行動や傾向、あるいは社会的なやり方にのっとった形をとれないことがあるんだ」
「もし彼がずっとマクラーレンにいたなら、今のような振る舞いをすることはなかっただろうね。なぜなら、そうすることは許されないからだ」
■一般道では注意して運転しろ
最近、ハミルトンが物議をかもしたのは、F1ブラジルGP(第18戦)が行われるブラジルへ向かう直前に、モナコで駐車していた3台の車に、200万ドル(約2億5,000万円)もする高級スポーツカーのパガーニ・ゾンダをぶつける事故を起こしていたことだろう。しかも、その事故を起こしたのは午前4時のことだった。
その事故についてハミルトンと話をしたのかと質問されたデニスは、『La Gazzetta dello Sport(ガゼッタ・デロ・スポルト)』に次のように答えた。
「ああ、一般道を走るときにはもっと気を付けなさいと言ったよ」
「だが、F1タイトルを獲得したばかりだけに、彼を許さないわけにはいかないだろう?」とデニスは付け加えた。