ロシアGP決勝では、フィンランド人ドライバー同士のクラッシュにより劇的な結末を迎えることになっていた。
【結果】F1ロシアGP決勝の順位、タイム差、周回数、獲得ポイント
レース終盤、バルテリ・ボッタス(ウィリアムズ)とキミ・ライコネン(フェラーリ)の2人のフィンランド人ドライバーが3位表彰台をかけての戦いを繰り広げていた。
だが、レースが最終ラップに入ったところで、ライコネンがターン4で少々強引とも見えるアタックをしかけてボッタスのインに入る。だが、ここで2台がクラッシュ。ボッタスはコース外へはじき出され、そこでレースを終えてしまう。
一方のライコネンは、大きくダメージを負ったクルマでなんとかフィニッシュラインにたどりつき、5位でチェッカーフラッグを受けていた。
■同郷の先輩に怒りを向けるボッタス
ロシアGPでの2年連続3位表彰台獲得のチャンスを最後の最後に失ったボッタスは、当然ながら怒り心頭に発していた。
ソーシャルメディアには、観客がクラッシュ後のボッタスの様子をとらえたビデオ映像が公開されているが、その中でボッタスはまずクルマのコックピットカラーを放り投げ、その次にはグローブを観客席のフェンスに投げつけていた。
F1競技委員会も、このクラッシュに関してはライコネンに非があったと判断。レース後に30秒のタイムペナルティーが科されることになり、ライコネンは8位に公式順位が下がってしまった。
だが、ライコネンはそのクラッシュに関して次のように主張した。
「僕があのとき追い抜きをしようとしたことは、完全に間違ったばかげた行為だったなんて考えていないよ。決して事故を起こしたいなどと思っているわけじゃないが、これはレースだし、そういうことも起きるものさ」
ライコネンがそう語ったことを伝えられたボッタスは、次のように語るのみだった。
「僕にはそうは思えないね」
「僕にはなんのやましいこともないし、あれは僕のミスではないと言えるよ」
■ミスを犯したら直接謝るほうがいいとハッキネン
ボッタスとライコネンはどちらもフィンランド人ドライバーだ。2人と同郷の元F1チャンピオンであり、現在はボッタスのマネジメントチームの一員でもあるミカ・ハッキネンは、母国フィンランドの『Ilta-Sanomat(イルタ・サノマット)』に対し、26歳となるボッタスが、レース後にプライベートにライコネンと会話を交わしたようだと語った。
「実際、会話が交わされたと理解しているよ」
「だが、それは僕が1994年の日本(岡山のTIサーキットで行われたパシフィックGP)で接触した後にアイルトン・セナに会いにいったときの状況とはちょっと違ったようだ。あのときは、次のレースではアイルトンが僕に対し、それまでよりも一目置いてくれたように思うんだ」
「彼(セナ)は、僕が(当時セナが所属していた)ウィリアムズチーム全員の前で自分がミスを犯したことを認めたことを受け入れてくれたんだ。彼はまっすぐ僕の目を見つめ、そしてその手を僕の肩にのせてくれたよ」
その後、1998年と1999年に2年連続でF1チャンピオンとなったハッキネンは、次のように付け加えた。
「自分が犯したミスに関しては、直接会ってそれを認めるほうがいいと思うんだ」
■ライコネンのクラッシュはあせりが原因?
レース後、フェラーリのチーム代表であるマウリツィオ・アリバベーネは、ただライコネンの闘志は評価できるとコメントしたのみだった。だが、今回の件に関してはライコネンに批判的な目を向ける者も少なくないようだ。
かつて3度F1王座についた伝説的元F1ドライバーであり、現在はメルセデスAMGの非常勤会長を務めるニキ・ラウダは次のように語った。
「ライコネンは、力の限りの攻防を繰り返したが、結局セバスチャン(ベッテル/チームメート)にやられてしまった」
「そして、彼はボッタスにぶつけることで自分自身をやっつけてしまったんだ。あれはあまりいいレースの仕方だったとは思えないね」
ハッキネンも次のように続けた。
「僕は、あのときキミはかなりフラストレーションを抱えていたんだと思うよ。チームメート(ベッテル)がまた自分の前を走り、表彰台をつかもうとしていたわけだからね」