NEXT...F1開催スケジュール

ドメニカリ、その後を語る

2014年05月22日(木)8:13 am

4月中旬にフェラーリのチーム代表を辞任したステファノ・ドメニカリは、まさにその当日、セバスチャン・ベッテル(レッドブル)と電話で会話をしていた。ドメニカリ本人が明かしたものだ。

チーム成績不振の責任をとってマラネロを去ったドメニカリは、今にいたるまで沈黙を守ってきた。

今回、イタリアのブログに載ったドメニカリのインタビュー。ドイツ『Sport Bild(シュポルト・ビルト)』のビアンカ・ガーロフ記者は21日(水)、これをニセ物と断じている。

しかし、イタリアで信頼される『Quotidiano(クオティディアーノ)』のブログだったらどうだろうか。それに、寄稿者はフェラーリの事情に詳しいスポーツ記者のレオ・トゥッリーニなのだ。

ブログ記事によると、ドメニカリは代表を辞職した日に3本の電話をかけている。「話した相手はABC順に、(フェルナンド)アロンソ、(キミ)ライコネン、それに(セバスチャン)ベッテルだ」と、ドメニカリ。

「フェルナンドもキミも私のよき友人だからね。このような結果に終わってくやしいよ」

「私は、6位争いをするために2人を組ませたのではない。だが残念ながら、結果的にはそうなってしまった」

F1第5戦スペインGPでフェラーリが取ったピット作戦には大きな疑問符が付く。だがドメニカリは、テレビさえ見なかったといって明言を避けた。

「こんどのモナコGPも見る気がしないね」と、ドメニカリ。

そのモナコGPについて、ドメニカリは2001年の大会を振り返る。ミハエル・シューマッハがモンテカルロの市街地コースで5勝目を上げたレースだ。

「あの勝利に酔った夜、われわれには確固たる自信があった。マイケル(シューマッハ)はいずれ(アイルトン)セナの6勝という記録を抜くだろうとね。ところが、不幸にしてその日は訪れなかった」と語るドメニカリ。

そして、話題は偉大なドイツ人王者のスキー事故に移る。ドメニカリはいう。「ときどき思うんだ。もしわれわれ(フェラーリ)が2008年から2013年にかけて彼(シューマッハ)を乗せていたら、タイトルのひとつは取れたんじゃないかってね」

「でも間違ってもらっては困る。2010年と2012年のいずれもアロンソはチャンピオンにふさわしい走りをしたよ」

辞任当日に電話をかけた3人めの相手について、ドメニカリはあまり話したがらない。「なぜセブ(ベッテル)に電話したかって?悪いが、その答えは自分で見つけてくれたまえ」

F1における自身の将来について、ドメニカリは、他チームへの移籍を否定する。

「私はこれまで、片時もレースから距離を置いたことはない。それに、よそのチームで働く気になったこともないよ。それがケータハムでもマクラーレンでも、どこであってもね」

「他チームのピットウォールにいてアロンソやライコネンを応援していたら、シャレにならないだろう。だがピットウォール以外の場所だったら、話は別だ」

「今はさまざまな方面から多くの引き合いがある。しかし申し訳ないが急いで決心するつもりはない」

また、F1経験に欠けるとされるドメニカリの後継者、マルコ・マティアッチについても多くを語りたがらない。

「マティアッチからは何の質問もなかった」と、ドメニカリ。「彼は助言を必要としなかったのだから、それはそれでいいことじゃないかな」

前後の記事
最新ニュースをもっと見る  >
TopNewsの最新ニュースが読めるよ!
facebookフォロー Twitterフォロー RSSでチェック