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ロン・デニス「セナとの最初の契約金はコイントスで決めた」

2014年05月01日(木)11:09 am

1994年のF1サンマリノGPにおいて3度F1チャンピオンに輝いた伝説的ドライバーのアイルトン・セナが亡くなってから、今年の5月1日(木)でちょうど20年を迎えた。

セナは1988年から1993年までマクラーレンに在籍し、合計35勝をあげるとともに、3度のF1タイトルを獲得している。そのセナの栄光の歴史をともに築き上げてきたマクラーレンの当時のチーム代表ロン・デニス(現マクラーレン・グループ最高経営責任者)が、セナとの思い出を語った。トップニュースでは、マクラーレンのウェブサイトに掲載されたデニスのインタビュー記事を2回に分けてお伝えしてゆく。

<ロン・デニスがアイルトン・セナとの思い出を語る(1)>

■セナとの最初の契約について

デニス:最初にアイルトンが打診してきたんだ。うちには競争力があると思っていたんだね。彼はうちに加わりたいと思っていることをはっきり示していたよ。彼はロータスで3シーズン目を迎えており、ホンダエンジンはさらにその魅力を増していた。そのことがみんなの考えの中にあったのは非常に明白だったよ。

デニス:彼のほうから会いたいと言ってきた。彼はそのときイーシャーの賃貸住宅に住んでいて、我々のいるウォーキングとはそれほど離れてはいなかった。だから、それから間もなく彼の自宅で話し合いが行われたよ。

デニス:契約に関する交渉が終盤に差し掛かったとき、我々は金額についての話し合いを始めたんだ。彼にとってうちのクルマに乗る以外の選択肢はなかったし、我々にとっても彼と契約をしないなどということは考えられなかった。だが、我々は報酬金額で折り合いをつけることができなかったんだ。

デニス:我々は50万ドル(現在のレートで約5,130万円)という金額について議論を重ねていた。そして、私は最後にはコインを投げて決めるしかないと考えたんだ。ところが、そのころのアイルトンはまだ英語がそれほど達者ではなかったから、それについて詳しく5分ほど説明をしたよ。紙に絵を描いてみせてね。とにかく、私は事態を進展させたかったんだ。

デニス:そしてコインが投げられた。コインは空中で勢いよく回転していたから、床に落ちたとたんにロケットみたいに飛んでいってしまったんだ。それがカーテンの下でカタカタと音を立てているのが聞こえたよ。私がカーテンをよけると、私が賭けに勝ったのが分かった。

デニス:その時点では、我々はどちらも3年契約についてコインを投げて決めたんだということに気付いていなかった。だから、結果として合計では150万ドルの契約となっていたんだ。そんな形で決めたことが、金の価値を軽視するものだと言われたこともあった。だが、まったくそういうつもりではなかったんだ。あれは話し合いの行き詰まりを解決する唯一の手段だったんだよ。

■マクラーレンが全16戦中15勝を飾った1988年シーズンについて

デニス:あのときはクルマ(の開発)が遅れていたんだ。すごく遅れていた。あまりにも遅れ過ぎたため、イモラ・サーキットでの最終テストには間に合わないだろうと言われたよ。そこで私は上着を脱ぎ、下へ降りて白いコートを着て全員に伝えたんだ。『このクルマは絶対にイモラへ持っていくんだ!』とね。

デニス:私が全体の指揮を執り始めてから数時間以内に、2、3人の管理的ポジションにいる人間がやってきて、私の言いたいことは分かったと伝えてきたよ。だが、とにかく遅れていたんだ。私は全員を2日か3日はファクトリーに缶詰めにするしかないと思ったよ。そして、我々は最終テストにクルマを間に合わせることができた。

デニス:誰がそのクルマを最初に運転したかよく覚えていないんだ。多分アラン(プロスト)だったと思うが、3回目のアタックラップのときにライバルたちよりも1.5秒くらい速いタイムを刻んだんだ。あのときはまさに信じられないといった状況だったよ。まるで映画のスローモーションのシーンのように、誰もがお互いに顔を見合わせながら、なぜこんなことが起きたんだと自問していたよ。

■1988年のセナのモナコでのクラッシュについて

デニス:彼のポルティエでのクラッシュは集中力が途切れたことによるものだった。我々は彼にスピードを緩めさせようとしていたんだ。だが、レーシングカーのスピードを緩めると、同時に集中力も失ってしまうものなんだ。あのときもそれが起こってしまった。それだけのことだよ。

デニス:彼はすごく怒っていて、ピットにも戻ってこなかった。彼はそのまま歩いてサーキットを立ち去り、自分のアパートに戻って座り込んでいたよ。彼はその夜遅くまで姿を現さなかったし、そのとき彼は自分自身に対して強い怒りを感じていたよ。

■1989年のイモラで、セナがレース前の約束を破ったとプロストが非難した件について

デニス:彼らはお互いに信頼関係を壊した。その責任は彼らふたりにあるよ。ふたりとも何度もお互いに相手を非難し、それが公にも知られるところとなってしまった。ふたりの間には大きな緊張感と怒りがあった。

デニス:その後、彼らはウェールズのペンブレイと呼ばれるサーキットでテストを行っていた。私はヘリコプターでそこに降り立ち、サーキットわきに停めてあった小さな連結バスの中に彼らを座らせたんだ。私は逃げ腰な人間ではないし、彼らには私が悪者だと思わせなくてはならないという気持ちだった。私は、もし彼らが私に対して敵対的になれば、彼らがお互いに敵対することはないだろうと感じていたんだ。

デニス:それはデリケートなことだったし、うまくやるのは簡単ではなかった。だが、彼らはどちらもそのしたたかさにおいては五分五分だったよ。彼らは利用できるものはすべて利用しようとした。自分たちの国のメディアをあおったり、ホンダのところへも行くなど、ありとあらゆることをやっていたよ。

■プロストの離脱後に加入したゲルハルト・ベルガーが与えた影響について

デニス:ゲルハルトはチームにユーモアを持ち込んでくれた。彼は雰囲気を変える名人だったよ。彼には際限というものがなかった。ゲルハルトは限度ということを知らなかったんだ。本当にキリがなかったよ。まさに危険すれすれのことまでやるようになったんだ。

デニス:我々がハミルトン(スコットランドの海浜都市)でダイビングをしていたときのことだが、かなり深くまで潜っていたときに、ゲルハルトが私の酸素ボンベのスイッチを切ってしまったんだ。彼にとってはすごく愉快なことだったらしいよ。また、あのときは彼らが私を海に放り投げ、海に餌をまき始めたんだ。サメが襲ってくるところを見ようとね。今になれば笑い話だが、あのときは笑える状況じゃなかったよ!

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