フェラーリのルカ・ディ・モンテゼモーロ会長が、伝説的F1ドライバーだったアイルトン・セナが、当時在籍していたウィリアムズとの契約を破棄し、フェラーリへ移籍したいと考えていたと述べた。
セナが1994年の5月1日にイモラ・サーキットで行われたF1サンマリノGP決勝で事故死してから今年でちょうど20年を迎えたが、モンテゼモーロは、セナがそのイモラへと向かう数日前に会っていたと明かした。
モンテゼモーロは、フェラーリの公式ウェブサイトに掲載された声明の中で、「彼はフェラーリに来たがっていたし、私も彼に来て欲しかった」と語っている。
セナが壮絶な事故死をとげたサンマリノGPは、セナがその年ウィリアムズに移籍してまだわずか3レース目のことだった。当時、ウィリアムズはそれまで1992年と1993年に連続でF1タイトルを獲得しており、90年代にはその後もタイトルを獲得した文字通りのトップチームであった。
それにもかかわらず、モンテゼモーロは、セナが本当にフェラーリへ移籍したいと考えていたと主張している。
「彼がサンマリノGPのためにイタリアに来たとき、我々はボローニャにある私の自宅で4月27日の水曜日に会ったんだ」、と語ったモンテゼモーロは、セナは当時フェラーリが電子制御によるドライバー補助システムには反対の立場をとっていたことを「本当に評価していた」と説明し、さらに次のように続けた。
「我々は長時間にわたって話をしたが、彼は私に対して、フェラーリで自分のF1キャリアを終えたいと思っていることを明らかにしたし、2、3年早くフェラーリに加入することになりそうだった」
「我々は近いうちにまた会うことを約束し、その時点で彼が結んでいた契約上の義務事項にどう対処すればよいかを話し合おうということになっていた」、とモンテゼモーロは付け加えている。
さらに、今週になってセナの姉であるビビアーニもフィンランドの『MTV3』に対し、次のように語った。
「彼(セナ)は、いつも私にフェラーリでレースがしたいと言っていました。彼は自分のF1キャリアの最後でそれをやりたかったんだと思っています」