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中野信治「チャンスは自分で動いて切り開く」

2014年02月20日(木)19:27 pm

42歳となった現在もル・マン24時間での優勝を目指して挑戦を続ける中野信治。2014年はWEC(世界耐久選手権)へのフル参戦も発表されたが、ファンが知っているのはサーキットで戦う華やかな姿だけ。しかし、レースという戦いの場へ出るために、人知れぬ努力がある。

現在、メーカーのワークスドライバーでない中野は、出られるか分からないレースに向けて厳しいトレーニングを重ねつつ、マネジャーを付けずに自らスポンサーやチームとの交渉を行っている。その交渉について中野本人がTopNewsへ語ってくれた。

■白紙の状態からチームと交渉
中野は、デルタADRから参戦した2012年のWEC(世界耐久選手権)富士戦でクラス優勝を果たしていた。そして、昨年のル・マン24時間にもデルタADRから参戦。しかし、富士戦が終わった段階で翌年のル・マン参戦は決まっておらず、白紙の状態から交渉を進めていったという。

「(2012年の)富士が終わった段階で、ル・マンはまったく白紙の状態でした。その段階では候補が4チームあったので、4チームと並行して交渉しながらどこがベストなのか総合的な内容を見ながら判断しました」

■2013年富士戦に向け打撃になったクラッシュ
最終的にデルタADRから2013年のル・マン24時間に参戦したが、チームメートのクラッシュでレースを終えた。しかし、富士戦への出場も狙っていた中野にとってこのクラッシュは、単なるリタイアではなく、大きな影響を与えることになった。結果、富士参戦が決まったのは10月頭くらいだった。

「いい終わり方ではなかったです」

「支援者にお願いする部分に関しても、僕自身のモチベーションにとっても、流れが大事です。あまりいい結果じゃないと、応援してくださる方にもワクワクする感じを与えられないので、ただ単に富士に出たいので応援してくださいでは興味を持ってもらえません」

「自分の足で動いて、日本側で支援してくださる方を見つける努力は当然しました。チームとの交渉に関しても、今年は円安が進んで3割増しだったので、日本人にとっては非常に不利な展開でした。それが僕にとっては打撃で、その分をどうカバーするのかということも含めて、いろいろな交渉の仕方はありますが、大変でしたね」

「じゅん沢な資金でやっているところは1つもないので、一緒に戦うという意味でチームに協力するのは当たり前だと僕も理解しています。ドライバーとしての価値は理解してもらっていて、今回もデルタADRでしたが、ル・マンの後もシンジとやりたいと言ってくれ、メールと電話でチームとの交渉を続けつつ、日本側で僕がやらなければいけないことをやりながら準備を進めて、100%乗れるということになったのは10月の頭くらいでした」

■自分で動いてチャンスを切り開く
マネジャーに任せることなく、自分でチームとの交渉を行う中野。ヨーロッパのチームとの交渉になるが、電話やメールだけではなく、実際にチームへ足を運んで顔を合わせることが重要だと語る。

「(ル・マン参戦に合わせて)1ヶ月くらい滞在していました。レース前にも1週間ほどいて時差調整をしながら完ぺきな状態にして、その間にもあちこちチームを巡りました。せっかく行くならもったいないので、お世話になったチーム、DAMSやオーク・レーシングにも顔を出しました」

「顔を出すことが大事なんです。メールや電話でもいいんですが、行って名刺の1枚でも渡しておけば違うはずなので、日本のドライバーももっとやればいいと思います。行ったうえで電話なりメールなりで連絡すれば交渉の幅も広がると思います」

「そういう行動力が海外では常識なので当たり前だと思います。自分で動いてチャンスを切り開いていくというのが大事。僕はこの年になっても、自分でコンタクトを取って交渉して、向こうに行くチャンスがあれば行くし、行って何かチャンスを広げないと、狭き門をくぐろうとしているので、人と同じことをしていてはダメなんです」

「待ってて(チャンスが)来ることもあるかもしれないけど、9割はつかめないんです。自分で動くことができれば、自ら行ってチャンスを広げたものは財産になり、ほかの人に頼らなくて良くなるので、レースだけではなく将来の幅も広がります。僕だったら、食事代を抜いてでも飛行機に乗りますし、僕はそうやってきました」

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