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ジェンソン・バトンの父親が死去

2014年01月14日(火)13:28 pm

ジェンソン・バトン(マクラーレン)の父親であり、かつては自分でもラリークロスで活躍していたジョン・バトン氏が亡くなった。70歳だった。

バトンの代理人は次のような声明を発表している。

「非常に残念で悲しいことですが、ジョン・バトンが南フランスの自宅で日曜日(12日)に死去したことをお知らせします」

「まだ確認はされていませんが、初期の兆候によれば心臓発作ではないかと考えられています。日曜日に彼を訪ねた親しい友人がこの悲劇的なニュースの最初の発見者でした」

「ジョンの子供たちであるジェンソン、ナターシャ、サマンサ、ターニャ、そしてその他の家族は大きなショックを受けており、この非常につらい時期の間、彼らのプライバシーを尊重して頂きますようお願い申し上げます」

ジョン氏は、息子であるジェンソンに付き添ってよくF1レースにも顔を出しており、過去15年以上にわたってF1のパドックにおいても非常に有名な人物となっていた。

ジョン氏は自分自身も生涯を通じてモータースポーツに情熱を傾けてきていた。1976年のイギリス・ラリークロス選手権では2位となるなど、1970年代にラリークロスのドライバーとして活躍。「コロラド・ビートル」として知られる目立つカラーリングのフォルクスワーゲン・ビートルで戦っていたことが知られている。

そんなジョン氏が、自分のキャリアを終えて以降、息子のジェンソンをレースの世界で支援してきたのは自然なことであり、ジョン氏の後押しが、バトンがF1トップクラスのドライバーとなるための大きな力となっていた。

ジョン氏が、息子ジェンソンのF1レースに帯同しなかったのは1度だけであり、息子の最大のファンであるとともに、レースそのものに対する情熱を持ち続けていた。

2009年にブラウンGPでF1チャンピオンとなったバトンと2010年に契約を交わし、そのときからジョン氏とも親交があったマクラーレンのチーム代表であるマーティン・ウィットマーシュは次のようなお悔やみのメッセージを述べた。

「私のF1での長いキャリアにおいて、たくさんのドライバーの父親たちと会ってきた。だが、ジョンがほかの誰よりも自分の息子に対して献身的だったと言って間違いではないと思う」

「ジェンソンが子供のころゴーカートでレースをしていたときから、父親はそばにいて、彼を助け、支援し、次のレースのための資金を工面してきていた」

「ジェンソンが成長し、勝利を収め続けるようになってからも、ジョンは常にその場にいた。ジェンソンにとって最大かつ不動の支援者であり続けたんだ」

「そして、ジェンソンは立派なF1チャンピオンとなり、今ではF1でも最も経験豊かなドライバーとなったが、それでもジョンは常にそこにいたし、以前のように誠実で愛情豊かだった。彼は、少人数の親密なジェンソンの取り巻きの中でも、温和で人気のあるメンバーだった」

さらにウィットマーシュは続けた。

「今季、ジェンソンはマクラーレンのドライバーとして5年目を迎えることになる。ジョンはこれまでの4年間すべてのグランプリに姿を見せていたと思う。その間、彼は特別な存在だったし、マクラーレンのファミリーにおいても代えがたい人物だったと言えると思っている」

「彼は素晴らしい父親だったばかりでなく、非常に素敵な人物だった。もちろん、ジェンソンばかりでなくマクラーレンの全員が、そして広くF1界全体が彼がいなくなって淋しい思いをすることになるだろう」

「マクラーレンの誰もが、そしてF1の誰もが、私同様ジェンソンや彼のご家族、そして多くの友人たちに対して心からのお悔やみを伝えたいと願っている」、とウィットマーシュは結んでいる。

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