『El Mundo Deportivo(ムンド・デポルティーボ)』が、フェルナンド・アロンソ(フェラーリ)がレッドブルからのオファーを断っていたと報じた。それによれば、当時レッドブルはアロンソを「第1志望」として考えていたという。そのときアロンソは結局、古巣ルノーへの復帰を選択していた。
記者のエルビラ・ゴンサレスによれば、2度F1チャンピオンに輝いた実績をもつアロンソが、2007年シーズン終了とともに関係が悪化していたマクラーレンを離脱した際、レッドブルとの交渉を行っていたとしている。
「フェルナンド・アロンソは、自分自身の、そしてF1の歴史の流れを変えるチャンスをそのとき自分の手につかんでいたのだ。2007年の11月にね」、とゴンサレスは書いた。
だが、アロンソはその時点では古巣であったルノーへの復帰を選択。一方のレッドブルは、当時マーク・ウェバーとデビッド・クルサードというドライバー体制で苦戦が続いていた。
その後、クルサードは2009年に若手のセバスチャン・ベッテルにシートを譲り、アロンソはそのシーズンの終わりをもってルノーに別れを告げ、フェラーリに移籍している。
だが、ゴンサレスは、2007年の終わりごろ、アロンソとレッドブルが「何週間」にもわたって交渉をしており、中には、アロンソの母国スペインのマドリードで、彼のマネジャーであるルイス・ガルシア・アバドやゲルハルト・ベルガー、さらにはレッドブルのオーナーであるディートリッヒ・マテシッツも参加して話し合いが行われたこともあったという。
マテシッツは、そのとき次のように語ったと伝えられている。
「彼(アロンソ)が欲しいよ。だが、少なくとも3年目のオプションを含む2年契約でないとね」
「私が聞いたところによれば、アロンソはほかのチームと1年契約という条件で話をしているようだ」
「私としては、2009年にパドックでも最高のドライバーたちを魅了することができるクルマを作るために待つことにしたい」とマテシッツは付け加えていた。
ゴンサレスはさらに、アロンソがマクラーレンを離脱した際には、2009年シーズンを最後にF1から撤退したトヨタも選択肢のひとつに含まれていたとしている。