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元F1ドクターのシド・ワトキンス、がんで死去

2012年09月14日(金)11:41 am

F1の統括団体FIA(国際自動車連盟)によるメディカルチームでかつて医師として活躍し、命と隣り合わせであるF1というスポーツの安全性を今日のレベルまで向上させることに尽力したシド・ワトキンス博士が12日(水)、がんのため亡くなった。84歳だった。『Autosport(オートスポーツ)』が報じている。

モータースポーツ界では広く「博士」というニックネームで知られたワトキンス。1978年にF1の最高権威バーニー・エクレストンと知り合ったことを機に、F1のメディカルチームを率いる立場になった。

在職中には、ロニー・ピーターソン(1978年イタリアGPにて事故死)やジル・ビルヌーブ(1982年ベルギーGPにて事故死)を含む多くの有能なドライバーの命が奪われる現場を目の当たりにし、F1というスポーツの安全性の向上およびサーキットにおける医療設備の完備に多大なる貢献を果たした。

ワトキンスの尽力により、F1サーキットでの医療体制は大幅に向上。メディカルチームが乗ったメディカルカーや緊急搬送用のヘリコプターも導入された。以前は、メディカルセンターが仮設テントのみというサーキットもあったことを考えれば、この進歩は劇的なものだった。

数多くのドライバーの命を救った一方で、ワトキンスはF1史上、最も悲しい週末とも言われる悲劇にも立ち会っていた。1994年のサンマリノGP、予選2日目にローランド・ラッツェンバーガーが事故死すると、翌日にはアイルトン・セナがクラッシュによって亡くなった。ワトキンスはセナと個人的にも親しい関係だった。

このサンマリノGPでの惨事後、ワトキンスは現在のFIAで安全面に取り組むモータースポーツ・インスティテュートの前身となるFIA安全性専門諮問委員会の設立に携わった。2005年にはF1の現場から引退したものの、モータースポーツ・インスティテュートの初代会長という立場を通じ、2011年に退くまでさらなる安全性の向上を目指し続けた。

2010年に公開されたドキュメンタリー映画『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』には、セナとワトキンスの印象的な会話も収録されていた。1994年のイモラ・サーキット(サンマリノGP開催地)、ラッツェンバーガーの事故でショックを受けるセナに対し、ワトキンスはF1から引退するよう説得。そうすれば一緒に「釣りに行ける」と語りかけていた。

その有名な一節はワトキンスの自叙伝にも登場する。

「まだ何をする必要があるっていうんだ? 3度もF1チャンピオンになって、最速なドライバーなのは誰の目からも明らかじゃないか。もう辞めちゃえよ。そして一緒に釣りに行こう」

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